シーソーゲーム

震災が起きた後

直後は
様々なことが
不謹慎といわれ

自粛をするのが
良し
とされていた

その後で

今度は
不謹慎で自粛をするのが

経済の流れを止めて
結局は復興が遅れるという観点から

過度な自粛こそ
不謹慎とされた

どちらも正しい意見だと思うし

そういうもんなんだと思う◎

今、青二才は

今までの普通へ戻す営業をしているが

普通の日常の中に再び入れば

どんどん、この震災の記憶が無くなってしまうのでは

と、思ったりもする

テレビもバラエティ番組を放送し始め

ちょっと暗くなった街は、再び以前のような
活動を再開し始めているような気がする◎

あの地震は

まさに、非日常

日常を求めれば、非日常の意識は薄れ

非日常を中心に考えれば、日常を取り戻すことが難しくなる

どちらかをとれば

どちらかが上がり

どちらかが下がる

こう思っている◎

日常を取り戻す作業も、絶対必要

今もこの先も避難所で暮らす人を思う行動も、絶対必要

なぜ

こんな事を書こうかと思ったのかというと

最近、ことあることに
チャリティーとか、復興とかの言葉を使いすぎていて

言葉が先行しちゃっているような
不安がふと、生まれてしまったのです

やらない善より、やる偽善

これに間違いはないと思うのですが

過度なチャリティー表記や

イベント組み立てなど

チャリティーのためのイベントなどは
結局、非日常であり

日常の中に義援の意識を持つことこそ
長い目で見て、必要になってくるのでは

と思ってしまったのです

阪神大震災の復興募金を、未だ街頭でやっている人が居ますか?

口蹄疫の補助、呼びかけを東京の駅前で叫んでいる人を最近見ますか?

阪神大震災で身内を亡くされたりしたかたの傷などは一生癒えないはず

口蹄疫で廃業に追い込まれた方の将来は、以前に描いていた物と違うはず

一過性のイベントは

ACのCMが減るのと歩調を合わせ

減っていってしまうのではないでしょうか

青二才のお客さんも

ものすごく青二才を気に入ってくれて
最初は月に何度も来てくれたりするのに

ある時パタッと来て頂けなくなる。

知人を一通り連れてきてくれると

次のお店探しに走ってしまう

その人の中で青二才のブームが過ぎ去ってしまう

寂しいですが
そんな人も何人も居らっしゃいます。

まぁお店が悪んですけどね。

しかしお店はそんなことは望んでなく
細くても長く付き合っていける人が良かったりするのです◎

なので

余りにも過度に
このチャリティーとかの言葉を使うのを
やめようと思います

震災復興のためにあれやってます
これもやってます

と言わずとも続けようと思います

普通の営業に戻しながらも
その意識はしっかりと持ち続けるために

敢えて
言葉を控えるようにします◎

鉄は熱いうちに打て

今、まだ、震災の直後だからこそ
閃くことや、思うこと

様々な企画もいいとは思います

ガンガンやります◎

そういうのと別に
ちゃんと、こういう今の気持ちも記しておいて

その意識とそれに則った行動だけを長く長く持てる

そんな人でありたいと思ったのでした◎

今だけ揺れる
シーソーにはなりたくないもんね◎

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