この間
仕事後にいつものように
博多ラーメン俺ん家に行って、みんなで飲んでいる時
ふと
『道太さんって、嫌いな人とか居ないんですか?』
と聞かれた
ちょっと考えた
(嫌いな人???)
嫌いな人の定義が分かんなかったのだ
もっと言えば
嫌い
ってのが分からなかった◎
まぁ、分からないということで
『嫌いな人は居ないなぁ』
と言った◎
31歳になって、ふと思った
僕には嫌いと言う感情がいつの間にか
どこかへ行ってしまってるみたいだ
小さな頃は今でも覚えているが
茄子が大嫌いだった
食べ物は残さないという親の躾で
泣きながら、嫌々食べたのを覚えている
小学校の席替えでも
あいつとは隣になりたくない!
っていう感情があったのも覚えている
が
今
おでんに入っている昆布巻きのように
自分から好んで食べない食べ物
や
日にちが経って
だんだん生臭くなってきた塩辛のように
ちょっと苦手とするような食べ物
はあるけれど
嫌い
ということは思わない◎
嫌いと言うまで
振り子は振れないのだ◎
でも
好き嫌いのコントラストが
はっきりしていた方が
振り幅が大きくなって
好きな物がもっと好き!
と言えるのではないか、と思ったりする◎
何も嫌いなものが無い僕が
グラタン大好き!
と言っているのに対し
ホルモンなどの内臓系肉が嫌いな神谷が
ハンバーグ大好き!
と言っている方が
大好きレベルが上なんじゃないか
と思ってみたりする◎
今まで付き合ってきた人に
だいたい聞かれたのだけど
『私のどこが好き?』と
嫌いな人が居ない
僕の口から出る答えは
嫌いな人が居る人の
口から出るそれとは
インパクトが違うのじゃないかな
なんても思う◎
好きを伝えるための
嫌いという存在
そんなのも必要なのかな
なんて思ったりした
ので
僕の中で
嫌いという存在を
探し出してみた
うーん
あ
あれ嫌いだ
銀行やレジで
黙ってどんどん割り込んでくる
おばちゃん
電車内で携帯電話、でかい声で話す高校生
平気でタバコをポイ捨てするサラリーマン
自分だけのことしか考えてない人が嫌い
相手あってこその自分だと思う◎
そんなことを言って
僕ら青二才も
深夜まで営業してしまい
なかなかに周りの方に迷惑をかけていると思う
それでも、遅い時間になれば
音楽のボリューム下げるし
照明も落とし
出来るだけ静かになるように心がけてはいる
電車内でかかってきた電話に対し
電車内でも電源を切らずにいて
手で口を押さえながら
『すみません、電車なんであとでかけ直します』
と言う事と同じレベルかもしれないけれど
話がずいぶん逸れたが
僕にも嫌いな人が居たみたいで
ちょっと良かった◎
だから
もっと
好きになってもらえるように
30日のゴミ拾い
僕は頑張ろうと考えてたりする◎
普段お世話になっている地域に
迷惑じゃなく、良い事がしたいとね◎
自分たちばかりになって
周りが見えなくならないように◎
その態度だけは失わないようにしなきゃ◎