• 2010年6月2日
  • BY 道太

朝ごはんを食べていてふと思った◎

お茶碗に、おそらく
桜が描いてあった◎

もう6月なのにな

と◎

その後銀行へ行くついでに

お昼ごはんのために魚屋に行き
魚を見ていた◎

先週までは並んでなかった
飛び魚が【旬!】っていうシールを付けて
売られていた◎

帰って
飛び魚を捌いて

白いご飯の上に乗せて
食べた◎

テレビをつけた

情報番組で

『今が旬なお店の紹介です!』と

キャスターが新しく出来たお店でリポートしていた◎

その後も

旬なタレント

旬な話題

とテレビは流し続けていた◎

テレビの流す【旬】という言葉に
何か違和感を感じた◎

僕の中でその【旬】って言葉は
常に季節という感覚と強く結びついていて

毎年やってきて
この年にもなれば
幼い頃のその季節を懐古したり

つまりは
なんだか懐かしさと、その年年の
フレッシュな新しさが同居している感覚だったのに

『あぁ、今年も竹の子が出る時期なんだな』

『今年の新竹の子はどれどれ、どんなだい?』

という、ね

毎年のことなのに
毎年新鮮っていうものね◎

実家にいる時は

我が家の掛け軸などを
季節によって親が変えていた◎

なんて書いてあるか分からないような文字なのに

『これは春の言葉だから』と

『この魚の絵は冬の魚の絵だから』と

何か、安心感があった◎

テレビの流す【旬】という言葉に

なにかしらあやふやな危なっかしさを感じてしまった◎

実家で感じたり
飛び魚を発見して感じたりする【旬】

テレビのその【旬】

どちらもいずれ、旬の時期は過ぎ行く◎

でも前者は、旬が去っていくのも
また、一興であって、名残惜しさが
来年への楽しみとなる◎

後者の旬は、一度過ぎ行けば
次はいつそれが巡ってくるのか
分からない

もしかするともう二度と来ないのかもしれない

今年の春は

桜の茶碗にずいぶん良くしてもらった◎

サイズや形、手に持った感じなど
相当使い勝手がいいけれど

いつでもなんでも
使い続けて

割れたら、そこで新しいものに交換

ではなく

ここは敢えてちょっとしまってみようかな

とも思う◎

せっかくの桜、大切にしまって

来年の楽しみにするのだ◎

さて、飛び魚にピッタリな
お茶碗様でも探しに、今年の初夏は過ごそうか◎

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