結婚式の日、母への手紙

投稿日:2011年11月11日 道太
結論から先に言っちゃいます
俺ね、あなたの子供に生まれてきて良かった

陽子や嘉子の兄として生まれてきて良かった
俺ね、あんまりいいお兄ちゃんやなかったよね

陽子をいじめから守ってやれんかったし

嘉子に大変なことをいつも押し付けてきたし
長男なのに、恵那に帰らず東京でお店出しちゃうし
今まで生きてきて
逃げ出したくなるときなんて
ホントに星の数ほどあった

小学校でいじめにあったり

他の家にはあるようなゲームが我が家には無かったり

友達が家に来てるのに、それを放って下のお店の手伝いしろって内線が飛んできたり

そしてなにより、お父さんが亡くなったり、ね

それでも、きっと陽子や嘉子もそうだと思うけど

何が俺を引き止めていたのかなって
やっぱりどう考えても
家族なんだよね
お母さんのよく言う「何があったって家族は家族なんだから」
これに尽きるよなぁ、としみじみ思う
でもね、大きな大きな母親の愛に甘えすぎて
本当に口にしてはいけないようなことを何度も言っちゃったよね

俺は、今でも多くの人が新鮮に語ってくれる偉大な父のもとに生まれて良かったし
それを全くハンデなんて思ってもないけれど

そう思わせてくれる陰にはお母さんの並大抵ならぬ頑張りがあったからこそだと思う

毎日毎日
朝から晩までその小さな体で立ち仕事をこなし
子供はどんどん育って行くのに
お母さんはどんどん小さくなっていって

新聞配達してた頃、早朝5時に家を出ようとした時
まだ、仕事部屋で帳簿つけたりしてて
でも、あと少しすれば板前さんとか来るからちゃんと起きてなきゃいけなくて

お父さんのお葬式の時も
一番辛いはずなのに、背筋ぴしっと伸ばしちゃって
大勢の人の前で凛々と「均さんは人の集まるお祭りが大好きでした、今日はたくさん呑んでお祭りをしてあげて下さい」なんて
そのあとどうせ家に帰って一人お骨の前で泣くんだからそんな威勢良いこと言わなくてもいいのに

なんで、なんでそんなに頑張るの

と、子供はずっと思ってた

でも、必死で俺らを守ってくれてたんやね、と今思う
ほとんど風邪なんか引かなかったのに
上京してすぐの頃、電話をしたら
「ちょっと体調崩しちゃってね、熱があるの」と言われた時
そばに居ないってこんなに不安になるんだ、と思ったことがあって

東京に来るって選択をしたこと
その日、何度も間違ってたんじゃないかって思った

それでも東京での時間が過ぎて
年に何回か帰るぐらいになり
あまり報告作業のうまくない俺の

東京でお店がしたい

なんていう我がままにも
「道太のやりたいようにやりなさい。もちろん応援するわよ家族なんだから」

背中を押してくれて

本当に自分の気持ちや体はいつも後回し

なのに子供はいつも勝手ばっかり言って
でも
そのおかげで今日
梨枝とも結婚することが出来たし
今日ここに来てくれている、本当に本当に親友や
青二才のメンバーって言う新しい家族にも出会うことが出来た

梨枝をここまで育てて下さったご両親始め、今津家ご親戚の方、梨枝を支えてくれた友人
共に働く職場の方、そしていつも楽しく呑んでくれる小椋家の親戚にも本当に感謝しか無いです
子供として
何をしてあげられるか分かんないけど

よく言うように
「親は子供が喜ぶのが一番嬉しいこと」が
もし正解ならね、

俺ね、今までも今日も、きっとこれからも
めっちゃくちゃ幸せです◎

ありがとう◎これからもあなたの息子で居させて下さい◎

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