なぜ青二才なのか【4】

投稿日:2013年3月27日 道太
25歳の10月
三鷹青二才を始めました◎

公園時代からすれば、屋根も付き
壁もあり、店内にトイレもある◎

蛇口をひねれば水も出る◎

火も使えるし、音楽も流れる◎

それでも

何も出来ないよね俺ら!

でも、何も出来ないからこそ何でも出来るよね俺ら!
青二才と言う言葉と付き合うようになった瞬間でした◎
せっかくだから、と
大学時代の後輩に、『お店のロゴ作ってよ!』
と頼み、いくつか案があった中で

この、欠けた月のロゴになりました◎

『うん、欠けてるところがイイ!』

『おぉ、ロゴがあるといよいよ店っぽいねー』

なんて笑いながら呑みながら◎

三鷹青二才を一年やった後、僕ら二人はいよいよ決心をします◎
二人だけではきっと諦めていたかもしれませんが
毎週毎週来てくれ、三鷹青二才と言う場所も

僕と神谷の次のステージへの途中なんだ

と認識してくれているお客さんたち

次は何すんの道太!!?!?

とワクワクしてくれる人たち

もうね、お金とか、技術とか何も無いけど

とにかく人は居てくれるから、そんな人のためにも、俺らやらなきゃ!

気が付いたら自分の夢に、同じ目線で神谷が加わってくれていて
多くの井の村村民やお客さんたちが居てくれて

こんなに幸せなことはないし

やっぱりもっと進まなきゃ
じゃ、
やるか

と◎
半年ぐらい物件を探して

あの場所に何か運命的なものを感じて

多くの借金をして

阿佐ヶ谷店を始めました◎
お店を出すことを一つ目標にしていたところはあったものの

やってみると、今までとは全然違う環境で

本当に青二才、、、
無いところ、足りないところ、だらけで
それでも時間は過ぎていき、どんどんお客さんも来てくださり

とりあえず来てくださった方をいかに怒らせずに帰ってもらうか

と言うような状態でした◎
出来る出来ると思っていた僕と神谷だけでは
到底抱えきれないことだったのです◎

つづく

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