25歳の10月
三鷹青二才を始めました◎
公園時代からすれば、屋根も付き
壁もあり、店内にトイレもある◎
蛇口をひねれば水も出る◎
火も使えるし、音楽も流れる◎
それでも
何も出来ないよね俺ら!
でも、何も出来ないからこそ何でも出来るよね俺ら!
青二才と言う言葉と付き合うようになった瞬間でした◎
せっかくだから、と
大学時代の後輩に、『お店のロゴ作ってよ!』
と頼み、いくつか案があった中で
この、欠けた月のロゴになりました◎
『うん、欠けてるところがイイ!』
『おぉ、ロゴがあるといよいよ店っぽいねー』
なんて笑いながら呑みながら◎
三鷹青二才を一年やった後、僕ら二人はいよいよ決心をします◎
二人だけではきっと諦めていたかもしれませんが
毎週毎週来てくれ、三鷹青二才と言う場所も
僕と神谷の次のステージへの途中なんだ
と認識してくれているお客さんたち
次は何すんの道太!!?!?
とワクワクしてくれる人たち
もうね、お金とか、技術とか何も無いけど
とにかく人は居てくれるから、そんな人のためにも、俺らやらなきゃ!
と
気が付いたら自分の夢に、同じ目線で神谷が加わってくれていて
多くの井の村村民やお客さんたちが居てくれて
こんなに幸せなことはないし
やっぱりもっと進まなきゃ
じゃ、
やるか
と◎
半年ぐらい物件を探して
あの場所に何か運命的なものを感じて
多くの借金をして
阿佐ヶ谷店を始めました◎
お店を出すことを一つ目標にしていたところはあったものの
やってみると、今までとは全然違う環境で
本当に青二才、、、
無いところ、足りないところ、だらけで
それでも時間は過ぎていき、どんどんお客さんも来てくださり
とりあえず来てくださった方をいかに怒らせずに帰ってもらうか
と言うような状態でした◎
出来る出来ると思っていた僕と神谷だけでは
到底抱えきれないことだったのです◎
つづく