福井後編

投稿日:2016年4月1日 道太
美川さんのところを出て
バスのような電車に乗り一時間◎
辺りは雪景色で、それは遠い場所に来たと思わせるには
十分なはずなのに、なぜだかうちの地元なんかともやっぱり
雰囲気がかぶってしまうので落ち着く◎
東京に暮らしていると知らないうちに
どんどん新しいビルが建ち、駅の出口が全く変わっていて
行きたい場所になかなか行けなかったり
新車が多く走り、凹み一つなくピカピカに洗車された車が
渋滞でなかなか動かない道路を彩る◎
でもきっとここはゆっくりなんだろう、と思える◎
歩道が整備された、とか
あの商店が閉めた、とか
人の増減はあれど、街の形が変わるようなことはきっと無い◎
日本にはどこに行ってもそんな田舎がある◎
久しぶりに帰っても安心できる場所◎
僕にとって東京でそれを感じる事が出来るのは
やはり、23歳のころ一人で青空ブルーシート焼酎バーをやっていた井の頭公園だ◎
あそこにいた人は変わってしまったかもしれないが
今でも公園に行くと、得も言われぬ懐かしさを感じる◎
この日お邪魔したのは「花垣」というお酒を造る
南部酒造さん◎
この蔵で杜氏としてお酒を造っている日置大作さんは
一回り前のの申年辺りに公園であった方なのだ◎
公園で楽しく飲んでいた僕らのところに
たまたま東京に来ていた日置さんが通りがかり
一緒にブルーシートで飲み交わした◎
それからほとんど連絡しあう事はなかったが
mixiやフェイスブックでは繋がっていて
3年前に中野店で
青二才が日本酒を本格的に始めると言う時なんかも
温かく見守って頂いていたり、一度東京出張の際に来て頂いたりもした◎
いつか日置さんのお酒造りの場に!などとは思っていたのだけれど
福井がなかなか遠く、願いは叶わなかった◎
が、日本一周◎
このチャンスを逃す手はない、と◎
初めて訪れる日置さんの仕事場◎
「久し振り!」
笑顔で迎え入れてくれた瞬間に
出会いは、縁は、時間で無くならないんだな、と再確認◎
会いたいと思う気持ちがあれば、大抵の事は続いていくんじゃないか、と◎
平面的ではなく立体的に構築された蔵で
必要最低限コンパクトな中に、多種多様なスペックのお酒を造ってらっしゃった◎
あんなに複雑な仕込計画表を初めて見た気がした◎
仕込むお酒の種類が多すぎて、一つの仕込が遅れると時刻表のダイヤが
架線故障で遅れるのと同じく、全て計画し直すのだそう◎
蔵の中は若い蔵人さんがシャキシャキ仕事をされている◎
夕方5時になると、チャイムが鳴り仕事が終了◎
すると、蔵の皆さんがぞろぞろと一つの部屋に集まった◎
「一緒にここで飯食おう!」と日置さん◎
「どこかお店を予約しようとも思ったんだけど
こういうところで食べる事も無いだろうと思って
ここで一緒にご飯食べよう!」
と◎
いきなり僕らみたいなのが、ふらっと入っていってしまって
いい部屋なんでしょうか!!!?
などとも思ったが、やはりこの日も遠慮なくお邪魔させていただきました◎
ご飯を毎日作ってくれる、おば、、お姉さんと
蔵人さんとの絡みも
「今日の晩御飯なにー??」
「今夜はロールキャベツよ」
などとまさに家庭!僕がイメージしていた日本の家庭!
そこで、まさに同じ釜の飯を食べ
同じ鍋の味噌汁を飲み
同じ徳利の酒を蔵の方と飲み交わした◎
お酒の事以外にも
自分たちのこれからの事
日置さんの事
蔵人さんのこれからの事など
やっぱりお酒はきっかけの物であり
お酒は味わうための物でなく
その時間を旨いものにする物なんだな、と◎
楽しすぎる時間はあっという間◎
これで同じ釜の風呂に入ってたらおそらくまだ福井に居ついてしまってたなこりゃ◎
終電は行き去り
終バスという手段を調べギリギリまでお邪魔しましたが
楽しかったー◎
頂いたお酒、帰りのバスで空けちゃった◎
福井駅に戻り
そこで待っていてくれたのは
阿佐ヶ谷青二才のお客さんで福井転勤中の松尾君◎
スネを齧りすぎていると感じていたここ数日間
わざわざ取ってくれていた
ツインのビジネスホテル!
ここのところ男二人でもシングルルームに
素泊まりペアプランで泊まるという
荒業でさえもこなしていた僕らにとっては
このツインベッドの部屋(しかも朝食付き)は
もうね、
あ、福井にも
リッツカールトン
あったんだ!(東京のも泊まったことないけど)
とついつい漏らしてしまうほどのものに感じたことを
まだ松尾君に伝えてなかったのでここで書き記しておきます◎
福井の夜も泥酔◎
しっかりやって、夜明けを迎えました◎

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