自粛休業が終わり、営業を再開するにあたり
全員に同じテーマで作文を課しました◎
僕も神谷も、これでまた頑張れます◎
【1.自分にとって青二才とは】
【2.青二才で一番記憶に残っている瞬間】
【3.これからの青二才で何をしていくのか】
ちゃんと、安全安心は確保しながら、前に進みます◎
さぁ、始まる◎
新田雅俊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【自分にとって青二才とは】
今までいろな職業、職場で働いてきたけど、こんなにも人間臭い、泥臭い職場、そして
お客様のことをここまで考えている会社に出会ったのは初めてでした。
働いてるというよりは、お客様と楽しさを共有しながら生きてるって感じ🤔
楽しく働く為には、その分厳しい基礎教育がありました。真面目に楽しさに向き合っていく事が、人生を豊かにする方法だと勝手に感じています。
それを教えてくれた青二才は
自分にとって「第二の家族」です。
青二才にいるみんなと、お客様のおかげで成長する事が出来ました。と言ってもまだまだ未熟です!これからも精進します。
【自分と青二才の一番思い出に残ってるエピソード】
自分が初めて青二才に行ったのは、13年前の12月、初代阿佐ヶ谷店でした。
阿佐ヶ谷に住んでいた頃、家までの帰り道に突如出来た青二才。いつも混んでて外まで人が溢れてる、一体なんのお店なのかわかりませんでした。気にはなっていたが、入りづらい雰囲気のお店だったんです。ちっちゃい円窓しかないから中ほとんど見えないし…
オープンして三ヶ月程経った頃、意を決して行ってみようと、友達と二人で青二才の店の前まで行きました。なかなか踏ん切りが付かず、外でソワソワしてると、中から道太さんが出てきて(初対面)「2名様ですか?どうぞー」的な事を言ってカウンターに案内してくれた。
席に着くと目の前には神谷さん(初対面)が笑顔でおしぼりをくれた。そしてビールの泡切ってた笑。接客とか店の雰囲気とか全体的にすごいなって圧倒されたのを今でも覚えてます。何を飲んだか、何を話したかなどは全く覚えてないけど、初対面の道太さん神谷さんの事が鮮明に記憶に残ってます。実はこの時から、この店で働いてみたいと思ってました。ここがターニングポイントだったんだなぁ🤔
【これから青二才で何をしていくか】
働き出して10年経ちました。
自分がやりたいのは、今まで培ってきた青二才イズムを絶やさない事です。
神谷さん道太さんの想い、そして自分が客の立場の時感じた居心地の良さ、お客様一人一人に合わせた接客、感動など言葉にするとまだまだありますが、この思いをスタッフ全員が、そしてこれから新しく入るスタッフにもしっかり伝えていく事が自分のやるべき事だと思ってます。
人が変わるたびに青二才イズムが薄くなっていく…なんて事のないように。
自分に厳しく、みんなに優しく(たまに厳しくなるかも☺️)、今まで以上に最強の会社にしていく!これからも宜しくお願いします!
齋藤健敏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分にとって青二才は
・自分の飲食業の基本と基準の考え方
・色々な世界(仕事・思考)の人達と巡り会わせてくれる場所
・30代の全ての時間
青二才での一番の思い出
・働くことになった日
前職から転予職定で退職日も深まっていたが転職先の話が色々な理由で無しになり、まあ少しゆっくりしてから仕事を探そうと気持ちを切り換えている話を当時お客さんとして行っていたので、神谷さんに何気なく話したら「最終出動日に夜時間あったら飲みに来なよ」と言われた。
迎えた最後の出勤日、自店の送別会は後日に予定されていたので、その日は周りの仲のいいお店の人達が送別会を開いてくれたので参加した。
解散になり、阿佐ヶ谷に着いたのが24時頃で、翌日から休みみたいなものだし、神谷さんの言葉を思い出し、まだ飲み足りない気持ちもあり青二才に寄ることにした。
特にたいした話はしなかったと思う、前職がどうだったとか、お疲れ様で一杯奢ってくれてとか、いつも通りの感じで飲んで話して。
そうしていたら急に神谷さんが
「今から時間ある? 俺上がるから今から飲みいこう!少し」
と言われ、そのまま誰だっけな?マー君?マコト?キッチンスタッフと 2階に内線で「俺上がってトゥーさんと飲み行ってくるからあと宜しく!」と伝え中杉から早稲田越えた黄色い看板の飲み屋さんに入った。
お疲れー!みたいな飲み会と思って行ったので何も構えてなく、何品か注文した料理が出揃って一杯飲み終わるくらいで
「ねえ、青二才で働かない?」
と全く予想していない話をされて、ものすごく驚いたのを覚えている。さらに「 道太にも聞いてないんだけどね(笑)。どう?」と。
色々考えましたよ、飲食業じゃない30歳手前の人間が何が出来るとか、失敗したらとか、本当に色々。
でも最後に思ったのは、30歳手前の人間が今後畑違いのところから誘われる事もないだろうし、わからない 事を考えてもしょうがない、わからなかったら聞けばいいし、いざ働いてどうしても自分に合わなければ、正直に言って辞めればいいと。
そこから10日後くらいにて返事をさせてもらったのですが、今思えば「最終日に飲みにおいで」と言ったときから神谷さんは考えていたのだろうと。
そんな感じで始まった青二才人生も10年目ですけどね(笑)
今後青二才で何をしていくか
色々考えたのですが、二つあって
一つ目は、青二才で働くにおいて最低限知っておくべきマナーとサービスの基本をまとめた一冊のマニュアル本的な物の作成
何年たっても大切にするべき事や、これから入ってくるスタッフが困ったときに読めば導いてくれたり、背中を押してくれるような、青二才を辞めたとしても、飲食業を辞めたとしても、別の場所や仕事でも使えるような、何回も読んでボロボロになっても捨てられない辞書のような一冊が作れたらなと思います。
二つ目は、どこにでも、何にでも二つ返事でフレキシブルに動ける人
これは今後するというか、引き続きしていきたいことですが、ここの店舗が人足りないから働く、何かの仕事があるけど手が空かないから代行する、青二才以外だけどそこのスタッフとして働く、などなど飲食店青二才だけではなく、こういう時期だから、こういう事態になったからこそ、今後も色々な事が起こったり舞い込んだりした時に、いつでも動ける(物理的にだけでなくメンタル的にも)人が居たら会社にとっても身動きが楽だろうし、僕としては色々な世界を見れて聞けて経験出来てと、お互いに楽しい事をやっていけると思います。
後藤慎矢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自粛期間中最後の課題
1. 自分にとって青二才とは
生き方。
自分らしく生きる方法。手段。
自分らしくいられる場所。
2. 自分と青二才の一番思い出に残ってるエピソード、瞬間の話
青二才に入ってからは、もちろんスタッフとのこともいっぱいあるけど、浮かんでくるのはやっぱりお客さんとした乾杯や話、別れ、出会い、その一個一個かなぁ。
良いことも悪いことも、失敗したこともあったけど、水の底から浮いてくる泡みたいにポコポコって頭に浮かんで出てくる。
「瞬間」っていうポイントで言えば15、6年前の話。
都営新宿線市ケ谷駅のホームで、大学卒業するまでしばらく疎遠になっちゃってた小椋道太っていう人と、偶然再会したこと。そこから人生が変わった。
同じ高校の神谷さんともそこからまた改めて。
神谷さんのお兄さんの会社でしばらくお世話になることがなかったら今の自分にたどり着いてない。
3. これから、青二才の中で何をしていくか
株式会社青二才に雇われているスタッフではなく、
青二才と対等に、ともに歩くパートナーとして存在したい。
上下ではなく、後ろを付いていくという関係ではなく、同じ方向を見て横を歩くパートナー。
そんな関係になるように、社内で自立をする。
社長の与えてくれた「全員社長化計画」を、
社内ベンチャーと捉えて、まずは社内で青二才から受注できる仕組みを整えて、青二才を支えたい。子会社化。それを広げて飲食店を支援する事業をしたい。
まだ計画段階なのでここまで笑
「個性がより際立っているグループ会社」っていうのが見えてる景色かな。そこを目指して全員で動けたらそりゃあおもしろい会社になる。
比嘉みなみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青二才とは自分そのもの◎
だからこそ、自分自身を表現できる場所であり、受け入れてくれる場所でもある。
一緒に働いてる仲間は私の体の一部のような存在だからなくてはならない物凄く大切な存在だ◎
そんな大切な存在に出会ったのは7年前。
初めて降りた阿佐ヶ谷の街で、
『席を外すたびにおしぼりを毎回変えてくれる凄いサービスの店があるから行こう!』
と、言われ入ったお店が旧阿佐ヶ谷青二才。
丁度そのころ夏の風物詩であるパイナップルサワーが始まっていて、
隣の席のお客さんが、半分にカットされたパイナップルを一生懸命絞ってる姿にまず驚かれた。
それだけでも『何だこの店は!?おもしろっ!』ってなってる私に接客してくれたのは、現在は中野店の店長であるマー君。
見た目イケイケなのに絶妙なタイミングでドリンクのオーダー聞きにきてくれるし、接客は丁寧だし、今までに体験した事のない新しい感覚!!
そして極めつけはたまたま?(いつも飲みに来てた説有り(笑))カウンターにいた社長のドータさんや、マコトと一緒に乾杯!!
(あの時はタランチュラだったなー)◎
1日で虜ですよ(笑)
今思えば、
もう運命だったんだと思う。
実はその日、一緒にいた友達に、
青二才に行くか、
もう一件別のオススメの店があってそこに行くか、
を、
みなみが決めていいよー!
と、言われてて。
『カッコよさそうだから青二才にする』
と、決めた私。
ねぇ、ほら運命じゃない?(笑)
結局その日は青二才が楽しすぎてそのもう一件には行かなかったんだけど、
私の運命の分かれ道の日だったその1日は今でも忘れないし、昨日のように思い出せる(ホントにマジで思い出せるよ!!)
その半年後の年始の社長1人営業の時に泣きながら働かせてくださいとお願いした話はまた今度(笑)
今年で7年目になれば、色んな楽しかった思い出や辛かった事や感動した事も沢山あるけど、
やっぱり青二才と初めて出会った日を超える思い出は今のところないなー◎
いやー
本当自分が働いてる店だけど、青二才大好きだわ!!(笑)
もうねー
【青二才っていう血】が体中に流れちゃってるもんだから、離れられないのよこの場所から◎
だからこれからも私は青二才っていう人達の生き方と、
『ねぇ、私の家族最高でしょっ!!だって青二才だもん!!』
っていう、
店自慢じゃなくて、
人(スタッフ)自慢をし続ける為に働き続けます◎
だって私の先輩達も、同期も、新しい仲間もみんな最高だもん!!
なので6/2の再STARTから、また私の家族自慢にお付き合いください◎
そして乾杯したらみんな家族!!
沖縄の方言だと、いちゃりばちょーでー!!
私の大好きな生まれ育った島の言葉で、
『一度出会ったら皆兄弟!!』
これからも出会った人達みんなで一緒に最高の家族をつくり続けましょう♬
青二才で今日もお待ちしてます◎
佐々木勇太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
課題の作文です。
よろしくお願いします。
1.自分にとって青二才とは、
僕にとって青二才とは、一言で表すならば『コース料理』であると言う事だ。
もちろん生きた方、考え方、それもきっとそうだろう!
ただ料理人である僕の表現の仕方で言わせてもらえればそうであると思った。
まずは前菜からスタート!
そうだな、3種の盛り合わせなんかが良いだろうか。なんなら蓋付きの重箱のようなモノで中身が見えない様に勿体ぶってやろうか。
そして蓋をあけたら良い意味で裏切られる◎
出てくる言葉こうだ!「すごいっ!」
何が凄いのか。
それはお客さんがお店の扉を開けてから、何ならご予約を頂い時からサービスは始まっている!
出来るだけその電話のやり取りから失礼の無いように、お客様の必要な情報だけを聞き出すのだ。
少し話が逸れたな。。
前菜の後は、お造りだ。
豪華に5種盛りでいこう!
全てが主役級のお魚ばかりだ!!
でもそれは1人1人にも言える事だ。
何もマグロだけが、高級魚だけが主役ではないように、青二才も1人1人が強い個性を持った言わば全員が主役級のスタッフばかりだ!!
これはきっと他のお店には無い強みだと思う◎自分の長所、短所をよく理解してその場を臨機応変に対応できる!
全てはお客さんの為に!!
お造りの次は焼き物だ。
言わばメインと言ったところだろう!
お造りを食べたから焼き物はお肉にしよう。
そうだなうちの自慢の尾崎牛にしよう!
ブランド牛は言わずと知れた高級食材、だから美味しくて当たり前。
ただその美味しくて当たり前の物をさらに美味しくできるモノがある。
それが人だ!
その人が食材の知識は勿論、お客さんとの距離感や言葉遣い、色々なことに目配り気配り出来るのが青二才なのだ。
ブランド牛に負けないくらいのサービス力である!
メインの後は〆物だ。
いよいよコース料理も終盤。
メインを食べてお腹も満ちてきた!
だいたいの飲食店はお客さんに2時間から2時間半くらいのお席の時間を設けて一区切りとする場合が多い。
その中でただ2時間を迎えるのか、そうでないかはこちら側からしたら凄く重要な事に様に思える!
お客さんにとっても2時間と言う時間は僅かである様に我々からしてもあっという間である。その中でいかにお客さんの印象に残って、また絶対に来たいな!っと思わせられるかが凄く大事なことだ。
その中でやはり青二才は1人1人がそれに長けている!お客さんに入っていくタイミングや近付く距離感、言い出したらキリがないがとにかくすごい!!
それが人を売りにするサービス力なのだ◎
最後にデザート。
甘くて冷たい物でクールダウンだ!
最後にここで印象をより鮮明に残せるか。
ただ行き過ぎると押し付けがましく、悪い印象に残ってしまう。
ちょうど良い距離感で最後まで。
行ける時に一気に行くのだ!
そしてお店を出てからもそうである。
お客さんが見えなくなるまで手を振り、お客さんが見ていなくて「有難うございました。」と頭を下げるのだ。
それが当たり前に出来るのが凄いのだ!
そうやって何人もの何組ものお客さんがまた帰って来てくれて、お客さんがまた違うおきゃくさんを連れて来てくれて、またお店に来てくれたお客さん同士が仲良くなって、いつの間にかその場が繋がってしまう。
何とも不思議な場所だ。
少し話がズレた感は否めない。
それにうまく表現が出来ない。。
ただ1つ言えることは、間違いなく青二才を取り巻く全ての物で青二才は出来ていてそれは沢山の人の想いや支えで出来ていて、その中に僕が居れてすごく嬉しい。
そして最高であると言うことだ◎
2.自分と青二才の思い出に残っているエピソード、
そりゃもう今でも忘れない2015年5月13日水曜日のプレオープン初日。
準備に追われてずーっと1人で泊まり込みで仕込みしてたな、、笑
まだスタッフ達ともぎこちないやり取りの中でやり辛さもあったのが正直なところだった。
でもプレオープンが始まる前にみんなでミーティングした時のことだった。道太さんに神谷さん、そしてその場に居たスタッフみんなが泣き出したのだ。
そう、このお店をオープンさせるにあたって本当に色んな想いを巡らせながら今日という日を迎えたんだろうなと想ったのを今でも鮮明に覚えている!
そして僕もまた一緒に泣いた。
その瞬間が今でも1番想い出に残っている。
3.これから青二才で何をしていくか、
僕が求められている事は一体何なのか?
常にそれを考えている。
もっと言えば勇太は青二才で何がしたいの?かってことか、、
何がしたいんだろう。。
きっとそれが見つかった時に僕は卒業するんだろうなと思う。
もちろん卒業することが大前提ではない!
こらから生きて行く上できっと青二才はずっと僕の大きな存在であり続けるだろう。
ただ1つ言うならば、僕は青二才を神保町店をミシュランに載るくらいのお店にしたい!
冗談ではない!
本気でそう思ってる!
そんな日がいつかきっと来ることを1つの区切りとして僕はこれからも青二才で居続けたいと思う。
竹内翔太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1、自分にとって青二才とは
ただの日本酒好きな客から始まり、気づいたら入社。
ただの日本酒好きはいつの間にか全国へ旅立つようになった。
ただの日本酒好きに出会うべくして出会った人を会わせてくれた。
ただの行き過ぎた日本酒好きの中年に色を付けてくれた、究極の集合体。
私の青二才とはそんな場所。
これからも互いに色を付けあう存在。
2、自分と青二才の一番思い出に残っているエピソード、瞬間の話
沢山あり過ぎてしぼり切れないのですが…うーん、何だろう。
強いてあげれば2つ。
1つは2016年9月17日の【蔵元さん!!青二才でスタッフやるってよ!!!】。
青二才できっと初めて行った日本酒にフューチャーしたイベント。まだまだ向こう見ずで勢いで物事を考えてた頃。
今となってはイベントの中身としてはまぁ、レベル低かったなぁ(笑)
けど、イベントが終了したとき、道太さんと一緒に道路側から見た店の景色だけは忘れられない。
あんなに暖かい空気を見れたのが初めてだったから。
もう1つは大阪のイベント参加。自分が必要とされている意義みたいなものが見えて単純にうれしかったから。
全部が全部、その年で色濃くて楽しかった。その中でも2019年5月上方日本酒ワールド、2日開催で料理・蔵元さんを
それぞれ別々で参加し、料理もそれに合わせた日本酒も高評価頂けたから。そして青二才は何やらせても対応できる
んだということも。愛酒でいともその前の4月29日にあったから人生で一番色濃かったゴールデンウィークが2019年。
目まぐるしく時間は過ぎていったけど、楽しかったことだらけ。
3、これから、青二才の中で何をしていくか
青二才流和酒専門店の確立。誰も選択しないニッチな方へ、けどどこよりも人(酒蔵)にフューチャーできる店。
それが青二才でありたい。
福井富美枝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めて東京で住んだ街が、阿佐ヶ谷という街。通勤途中の古民家が、あるときお店に変わりました。それが『青二才』でした。
友人が「面白いお店だったから今度行こうよ!」と誘ってくれてから、『青二才』と私が始まりました。
当時私の職場はだいぶ年上の先輩ばかり。友人と呼べる人も青二才へ誘ってくれた子くらい。そんな私に『青二才』は一緒にお酒を飲んで笑い合える友人たちと出会わせてくれました。東京生活、『青二才』は心の拠り所でした。
通っていたお店で働いて5年。お客さんの時もスタッフになってからも、本当に様々な事があり、楽しかった嬉しかった思い出に残っているエピソード、多すぎて選べないです。お客様から日々頂く言葉たちも勿論そうですし、お客さんだった私がしてもらって嬉しかったこともある。ひとつなんて選べないので、嬉しかった楽しかったエピソードではなく、悔しかった事を。
それは土ノ日の日々。
ずっと不安と悔しさと共に働いていました。神谷さんともあんなに一緒働いた事、なかったですね。楽しいときも嬉しい時ももちろんたくさんありましたが、常にびくびくしてました。
そのような経験も経て、これから。
『青二才』の中で、今は中野店を盛り上げていくひとりでありたい、と思います。それはそうだろ、何その抽象的で曖昧な事。と思うんじゃないかな?と思います。
中野店から、ヤスという誰からも愛されていたスタッフが居なくなったのは、お客様は勿論、スタッフも。なんだかヤスロスがすごいな、と。代わりに料理する人、として異動してヤスの存在感の凄さに、それはそれで日々葛藤してました。そんな私を察したのか、ある時の社長からの言葉。「中野にふみちゃん来てよかった。」
コロナによってお店を一旦閉めた時も常に社長は前を向いて、私たちを守ってくれた。その社長のサポートに微力ですがなれるならいいな。中野店にきて再び和食、学び直し中です。それだけではなく、ザ・和食ではない私にしか出来ない料理でお客様に喜んでいただけるよう、日々勉強です。
新城みゆ紀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の思いを素直に書きました!よろしくお願いします。
1.私にとって青二才とは、
自分のやりたい事を見つけさせてくれたかけがえのない存在です。
トゥーさんが中野店で店長だった頃、お客さんとしてお店に数回しか行ったことが無かったのに、トゥーさんは私の事を覚えててくれて嬉しかったのを今でも覚えています。
行った数は少ないのに覚えててくれてるのは、嬉しくてそれに青二才の雰囲気が凄い良くて、あーこんな楽しそうに働いてるスタッフって中々居ないよなぁ、私もこう言う所で働いてみたいな!って心の片隅で思ってました。笑
そんな中、青二才のホームページをみても募集をしていなかったのでトゥーさんに思い切って声を掛けて、働きたいですって伝えました。
それから面接をする時に道太さん、神谷さんに初めて会いました。私が伝えた思いなど、道太さん神谷さんに伝わったのか、採用される運びになって嬉しかったのを今でも覚えています!二人の背中をみて、感じる事や、気づく事、人を喜ばせる事を教えてもらっているなと思います。
そんな事を感じさせてくれたのも青二才のお陰でかけがえのない場所だと思っています。
2.青二才での思い出、
沢山あって、楽しい思い出や、辛い思い出も本当に盛り沢山!
でもやっぱり印象が大きかったのは、私が初めてミーティングに参加して、みんなの顔を見合わせた時、最後にサプライズでお祝いしてくれた事、です。みんなは覚えてないと思いますが、本当に嬉しかった。初めてなのに、プレートまで用意して祝ってくれた事がなによりも嬉しかったです。神谷さんのプレートで覚悟しとけよっと書いて貰ったのは忘れません!笑
絶対、頑張ってやっていこうって心に決めた日でした。
3.これから青二才の中で何をしていくか、
まずは、また再スタートとして初心を忘れずに、自粛していた中でやってきた事を活かして前に進んでいきたいです!
そして、青二才にとって自分が求められる存在になりたい。
私の短所は人見知りな所で、長所はと言うかこれから成りたいなと思ってるのはムードメーカーになりたいっ!!
道太さん、神谷さんの背中を追っていきたい!!
ただ、自分には弱い部分が沢山あるから何事にも負けずに堂々と進んで行きます!!
まずは自分に負けない!
また沢山の支えてくれた方々と乾杯を楽しみにこれから邁進して行きます◎
井上夕輔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕にとって青二才とはなくてはならない存在で、自分の芯を構築させてくれる場所です。
今まで経験した事で例えるならば部活の様な真剣な時間です。
先輩や仲間達との関係性や学生時代を費やして一心不乱に打ち込んだ空間。
小学生からずっと野球をやっており、高校球児だった事もあります。
常に何かの目標、高校生の時ならば甲子園を目指し毎日仲間と切磋琢磨し、トレーニングや辛い場面でも日々、勇往邁進しておりました。
時には監督や先輩に叱られる場面もありましたが、自分にも後輩が出来た時にその経験が活きてきた事もありました。
日々邁進して行く中で仲間とぶつかり、良い方向に持っていく。
今の僕にとってそんな場所が青二才です。
僕自身、最初はスタッフではなく、お客として青二才と出会いました。
当時、店長ではないTWOさんこと齋藤さんに接客して頂きました。
活気のある店内、気の利くスタッフ、清掃の行き届いたトイレ、美味しい料理と的確なお酒のチョイス、、当時、飲食店でアルバイトをしていた僕には全てが衝撃的でした。
「今まで見たお店の中でこんなにお客様の事を考えているお店はないんじゃないかなー」と、思いました。
食事も終盤になり、帰ろうと思った時に青二才で恒例のテキーラをTWOさんが満面の笑みとお会計と共に持って僕のテーブルへやってきました。
何も知らなかった僕達は完全に訳がわからないままだったのですが、「まだ飲めますよね?もし、良ければ一緒に乾杯しませんか?」と、TWOさん。
説明を受け、会話をしてアレよアレよと言う間に言われるがままにテキーラを一気呑みしました。
その時の僕は「なんだ、この全てが新しいお店は!!」と大興奮でした。
お会計を終え、レンガ坂を下っていると「忘れ物ですよー」と再びTWOさん。
ハッキリと覚えていませんが、間違いなく僕はニヤけていたと思います。
その手にはあのテキーラが。
「もう一杯やりませんか?」と再びTWOさん。
はい!以外の言葉がある訳がありません。
一気呑みした時にさっきとは違う味が。
その中身が水だったのです。
やられたなぁ。と、僕は完全にニヤけながらハートを撃ち抜かれました。
それから仲間にもこの体験を話し、全部は出来ないにしろ、少しずつこの感動を自分が働いているお店でアウトプットしていきたい!と思いました。
5年以上前の話ですが、この時の衝撃と感動を未だに忘れません。
初来店から随分と月日は経ちましたが、今は僕自身もスタッフ側。
あの時受けた衝撃を今度は与えられているか、、不幸中の幸いで自粛期間の内に再度見つめ直す事が出来ました。
与えられているか?
ではなく、与えていかなければならないし、魅力を伝えていきたいです。
僕は今後中野店ではやって来なかったランチ営業に微力ながら尽力させて頂きたいと思っています。
まだまだ進化していくであろう青二才に振り落とされないようにしっかりとしがみ付き、TWOさんからもらった衝撃と感動を全てのお客様へ与えていくスタッフになります。
梅田祐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テーマ1 自分にとって青二才とは。
僕にとっての青二才は客として利用させて頂いていたときからずっと「サービスの精鋭プロ集団」です。
そして本当に優しく厳しい家族です。
だからこそ、たくさん裏切ってしまったことは本当に心苦しいです。
テーマ2
一番思い出に残っているのは、去年の春ぐらいだったと思いますがマコっちゃんと勇太さんと中野店で飲んだあと終電が無くなりマコっちゃんと二人で高円寺まで酒を飲みながら歩いたのが印象深いです。(そこから二人でタクシー拾いました)
道中マコっちゃんが「今日は本当に楽しい酒が飲めてるよ」と言ってくれて、普段は言わないちょっとした愚痴とかいろいろ思うことを喋ってくれたのがめちゃくちゃ嬉しかったのを思い出します。
テーマ3
青二才の一員となりしばらくは。いえ、最近までは「果たして自分がこの精鋭の一部になれるのだろうか」と不安に考えていました。
しかし、そんな考えが無駄で意味のないことだと気づきました。
とても時間がかかりました。
ご迷惑をたくさんおかけしました。
その事実は消えません。
しかし、これから先の努力で会社に必要な人間になります。
ご恩をお返しします。
どうか見ていてください。
あいつがいて良かったと言ってもらえるように努力します。
お客様を笑顔にしてスタッフを笑顔にして家族も笑顔にして、この先の未来の目標に向かって1日1日を無駄にせず勉強していきます。
谷結月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青二才 作文
大好きなんです。青二才が。本当に大好きで、私と同じ考えをもっている人じゃなくても、私と同じ経験をしていなくても、大好きと思ってもらえている「場所、空間、時間」を共有出来る青二才が大好きです(お客様にとったら押し付けかもしれないけど笑)。私にとって青二才とは、キラキラした場所です。語彙力が本当になさすぎるので、伝わらないかもしれないけど、でも本当に大好きで、ステキな場所なんです。そう強く思えたのは、青二才でお世話になったこの1年間、お客様と関われた時間はもちろんですし、スタッフ同士で飲みにいったり、社員旅行に連れて行っていただいた時など、もう全てが本当にかけがいのないものだからです。死ぬほど叱られた時もあるし、でもその代わりに死ぬほど笑い合った時もあります。なんで青二才がそんなに好きかと聞かれれば、間違いなく言うのが、「働いていてこんなに楽しい環境はない」ということです。私が私なりの接客をする上に置いてもそうだし、生きていく中でも1番大事にしていることが、私が楽しくないとその時間を誰かと共有することは出来ないと思っている(一丁前に言ってみます笑)ということです。今過ごしている時間はステキな時間だ!と思うからこそ、青二才に関わる全ての方が幸せで、ハッピーで、楽しくあって欲しいと思います。こんな風に今思っている、思わせてくれているのは、絶対に道太さんのおかげだと思っています。私の中での青二才最大級のエピソードは、道太さんと初めて高松で飲んだ日のことです。「青二才」と言うより「道太さん」との思い出になってしまうかもしれないですが、上京するのが不安でいっぱいで、「香川から離れたくない!」と言う気持ちが(誰にも言ったことなかったけど)1番強かった香川最終日だったのに、初めて飲んだ道太さんとたくさん話して、たくさん笑って。とっても楽しい時間を過ごしているうちに、こんなに少ししか同じ時を過ごしていないのに、こんなに楽しく笑いあえる人が東京にもいるなら、頑張れそうな気がすると思えました。そしてそこから株式会社青二才にお世話になる東京生活が始まります。初出勤のことは正直言って、1ミリも覚えていません。緊張しすぎて一切記憶にありません。初出勤どころか、その後1ヶ月くらいの記憶はほとんどありません。ですが、中野店に入って、社長と神谷さんはもちろん、まーさん、やっさん、夕輔さん、そしてミッコさんに出会って、いろんなことを教えてもらいました。いやーもう、思い返したら信じられないくらい仕事できん私に、信じられんくらい根気強く、信じられんくらいたくさんのことを教えていただきました(それは今現在も続いています)。たくさん教えていただいたことがあって、どれをとってもその一つ一つにキラキラした思い出があって、どれも私にとってかけがえのないものなのですが、特に思い出に残っているのは、去年の暮れ、確か11月末か12月頭だったかな、そのくらいの時期にやっさんと2人で飲みに行った時「実はずっと結月のこと信用してなかった。でも働いていくうちに信用していって、今ではすごい信用してるから、俺が中野店にいなくなっても頑張ってな。」と言われたことがあります。その時ちょうどやっさんが沖縄に行くということを身にしみて感じてきたぐらいの時で、なんか、もう、頑張ってよかったなって。8月後半とか9月とか、ほんとに全然口きいてもらえない時期があって、どうしたらいいかずっと考えてる時期があって、でも最近話してくれるようになったなと思ってる時に、死ぬほど嬉しい言葉をかけてもらって、本当にこれからも頑張って行こう!!!!と強く思ったあの瞬間を今でも忘れることはありません。具体的にこれから何を頑張っていくか、何をしていくか。せっかくこんなに楽しい会社で働かせていただいているのならば、その時、その瞬間しかない一瞬一秒で感じたこと、考えたことを精一杯行動に移したいです。いや、移します。こんなコロナの時期にでもスタッフのことや、何よりも第一にお客様のことを考えている道太さん、常にスタッフのことを指導してくださる神谷さん。(普段道太さんのことをピッピ、神谷さんのことをノブリンなんて呼んでる自分がたまに恐ろしくなる笑 馬鹿にしてるわけじゃなく、家族ってみんな私の中では可愛くて愛おしいものだと思っているからこそです!話逸れたけど…) この期間で働いたことがなかったスタッフの方とも働かせていただいて、みんなの姿を見て、そして誰よりも仕事できない自分を客観的に見て、まじで火がつきました。誰から見ても敵うはずのない2人ですが、私、若さと明るさだけは勝てます(たぶん笑)!!その武器にプラス、吸収力。馬鹿だからドジすることも、ミスすることもたくさんあると思います。でもそのドジやミスしたときに叱られたことをたくさん吸収して、今、私にできるだけ、恩返しできるだけ、青二才で頑張ります。
2020.5.31 谷結月
石井雄太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分にとって青二才とは
学校のような存在です。
飲食としての勉強になる
こともあるし他の職種に
とっても勉強になることが
多く学べるからです。
良いこともこれはやっては
いけないなということも
学べるからです。
自分と青二才との思い出に残ってるエピソードは、、
あまりいうと不謹慎かも
しれませんが自粛期間中の
デリバリー業務です。
普段一緒に働いていない
中野店、神保町店のスタッフの方々と一緒に力を合わせて
お客様一人一人に青二才と
いうものをお届けするという
ところが思い出として残ってます。
あとデリバリーをしていて
常連さんも多かったですが
普段お店に来れない主婦の方々、お店はあるのは知ってたけどなかなか入れなかった方々が使ってくれてることも
嬉しいことでした。
デリバリー業務が一旦終了すると知ったお客様から
(特にお子さんのいる家庭の方)から
「この数ヶ月間、主婦の支えになりました!本当に助かりました!ありがとうございました◎!」
というお言葉を頂いた時は
この業務やっててよかったと
思いました。
これから青二才でしたい事は
衛生面を徹底し、もし違うお店に転職したとしても
おれは青二才にいたんだぞ!
と誇れるように働きたいと思います。
来てくれたお客様一人一人に
最後笑顔で、尚且つ
また来店して頂けるように、
今度は家族と、恋人と
一緒に行こうかなって
思ってもらえるように
精進します。
よろしくお願いします!
西岡蓮太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■自分にとって青二才とは
まだ入って間もないですが
みんな明るく優しく時に厳しく接してくれる大切な仲間です。最初の1ヶ月、毎日とても楽しかったです!そこからはコロナであまり会えなくなって時々になってしまったんですが会う度に元気か?調子どう?など声をかけてもらえてとても心が満たされます。そして、やる気が出ます。なので僕にとって青二才とは、本当に一人一人が支え合ってるベストチームだと思います。
■青二才エピソード
まだ入社して3ヶ月も経ってない自分に、しかもコロナで営業ができない、何をしたらいいんだろうと思っていて、でも自分には料理しか無いと思い、やるだけやってみようと試作をし、提出。すると、いいんじゃない?やってみなよ!との一言を神谷さんから頂いた時は震えました。なんで入ったばっかりのこんなやつにやってみなよって言ってくれるんだろう。ととても感動しました。そこから一気に話が進み今に至ります!
■これから青二才で何をしていくか
僕は、今アルケミスタのランチを任せてもらうことになりました。なので神保町で精一杯成果を出せるよう、自分や仲間が疑問に思ったことは話し合って解決しよりチームワークを高め前に進もうと思います。コロナの期間、自分を守ってくださった道太さん、神谷さん、青二才のみんなに恩返しができるよう日々試行錯誤をしながら努力して自分にも青二才にもいい結果を残せるようにしていきます!
田中夏樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.自分にとって青二才とは
僕にとって青二才とは第二の人生です。今までの生活を全て捨て、どうしようかと考えていた時にたまたま青二才という会社の求人を見つけました。入社して1ヶ月でコロナ休業になってしまいどうしようか迷った時もありました。しかし、青二才の方々は本当に良い方達ばかりでその存在が僕の心の大きな支えになりました。一人一人の成長を大切にしてくれているこの会社で、第二の人生楽しく豊かなものにしていくヒントを得ていきたいです。
2.自分と青二才の一番思い出に残ってるエピソード、瞬間の話
2020年2月28日は約10年間働いた前職の介護施設の調理が最後の日でした。朝6時〜14時まで働いた後、16時から18時アルケミスタで研修でした。その後打ち上がろうと思ってそのまアルケミスタで飲んでいくことにしました。勉強も兼ねてお酒を端から頼みまくって、ターノの美味しい食事もいただきました。さあ帰ろうとお会計をお願いするともう済んでいるということでした。神谷さんがご馳走してくださったのです。その心遣いが本当に嬉しかったです。ただ1人で10000円近く飲み食いして申し訳ない気持ちにもなりました(笑)
3.これから、青二才の中で何をしていくか
この休業中の2ヶ月間でいろいろ考え方が変わりました。自分は何がしたかったのか、何をしたら良いのか、わからなくなったりもしました。
僕から見ると青二才のスタッフの皆さんはみんなこだわりや何かやりたいことがあってそこに向かうために努力して頑張っています。だからこそ皆さん生き生きと働いていてキラキラ輝いて見えるのかなと。
僕はまだ迷っているから気持ちも不安定になるわけで、早く青二才に馴染んで自分らしさを発揮できるようになりたいです。そしてお客様との時間を楽しめるように、またご来店いただいたお客様に楽しんでいただけるようにサービスの勉強をしていきたいと思います。
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青二才とは生き方だ◎
2020年6月2日 小椋道太