中野駅北口にある新店舗三才を出て、南口にある事務所に向かう途中
あ、そういえば昼ごはん食べてなかったなと思い
ラーメンでも食べるかなー、なんてことを考えながら歩いていた◎
ふと通りかかった中野駅の北口ロータリーで、募金活動をしていた
この暑い中大変だろうな、とは思うものの特に何もすることもなく目の前を通り過ぎようとした。
大都会東京で全てのこういった募金にお金入れてたら大変だ。
が次の瞬間、ある単語が耳に入ってきた
「ミャンマーの・・・」
多くの人が素通りする中で、つい足を止めてしまった。ミャンマーと聞いては、素通りできないのだ
あれはもう4年も前になるのか、いや、まだ4年しか経ってないのか
2017年の2月、なんだか仕事がマンネリ化してしまっていて僕が負のループに入っているのを見かねた神谷を始めとする当時のスタッフが僕のスケジュールをがっつり一週間ぐらい無理やり開けて
「どこか遠い所へ行って来い」と
ダーツが刺さったその場所がミャンマーだった◎
35も越えているのにひとりで海外に行くのは初という、緊張感に溢れた旅だった。
熱心な信仰と親日国で知られるミャンマーは旅行者にちょっとぼったくるぐらいで、他はなんてことは無い、とにかく熱くて、まだ未開発なところがちょうどその時の僕ともシンクロして最高の1週間を過ごさせてもらった
日本語も英語もほぼ使えない、文字にも見えないようなミャンマー語なんて絶対に読めない。そんな中だからこそ、一つ一つの人々の優しさに震えた。
大草原に無数に仏塔の建つバガンで知り合った同い年の檀上君と、レンタルバイクで地図なき道を走った砂地、大草原に沈む夕日や、すごい場所にある寺院ポッパ山、よりも麓の売店のような店で食べた半分腐りかけの何かは、今でも脳裏に焼き付いていて、ふと思い出すたびに強烈に湧いてくる。
1人でヤンゴンに戻って来て、人づてで紹介されたゾーさんには一宿一飯どころか三宿全飯ぐらいおもてなししてもらった◎
ゾーさんの会社の部下であるゾーさん(前述のゾーさんとは同名の別人、佐藤さんの部下の佐藤さんみたいな感じ◎ミャンマーであった人の中で一番言葉が通じない)の運転でぶっ飛ばしながら2人きりで片道4時間ぐらいかけて連れていってもらったゴールデンロック◎さっき会ったぐらいの僕を連れてまた4時間かけて戻るという、その道中のご飯も僕には払わせてもらえずとにかく、僕が触れ合ったミャンマーというものは全て最高だった◎
景色や歴史上の建物もそうだけどやはり人が良かった◎
あの時あの瞬間だからこその思い出があり今でもやっぱり特別な国なのだ◎
そのミャンマーが内紛で大きく揉めている子どもや老人なども含めた一般市民が危険にさらされているなぜ、どうして、あの優しい人々が、、、と
僕はミャンマーにまだ恩を返せていない
いつかまた平和なあの国に戻ってほしいと願いラーメン5杯分ぐらいのお金を募金した◎
おかげでラーメンに溺れることもなくランチダイエットもできた◎
やはりミャンマーは最高だ◎
一日も早く安堵の時が訪れますように。そしていつかまた行きたい◎