あさおきて ひるねして よるねた
これはかの偉大な睡眠師
野比のび太氏による一日の使い方を表した
名言であるのだけれども
先日、こんなことがあった◎
その日、色々片つけたりしていて
営業が終わったのは
時計が朝の6時を指している頃だった◎
二階から一階に降りてみると
まだ、神谷が居て
神谷が
『明日はご予約が立て込んでるから確認しておこう◎』
と二人して、予約帳を開いて
予約状況を確認しあった◎
確認した後で
帰り道、歩きながら
その日予約していてくれた
僕の友人に、メールを打ちながら
気がついた◎
『明日は楽しみにしてるねー』
って打っていたのだけれども
違う
『今日は楽しみにしてるねー』だ◎
この時間帯に生活リズムを持ってくる生活をしていないと
この感覚は分かり辛いのかもしれないけれど
僕らにとって
朝の6時は昨日の深夜の延長である『今日』で
家に帰って眠った後の世界が『明日』なのだった◎
僕も神谷も
疑いもせず、サラッと話していたのだけれど
世界基準では
今も、起きた後も
『今日』は『今日』なのだった◎
先日もそんなことがあった
朝方に業者さんから『明日の昼にでも連絡下さい』という
メールが来ていたのを思い出して
お店に着く前に
携帯から電話をしたところ
その電話には出られずに
しばらくして
『すみません、今日の昼は打ち合わせなんです。。』
というメールをもらった◎
そこでも、僕の感覚が知らない間に世間と相違していることに
気づかされたのに、また、この感覚を使ってしまったのだ◎
最近出来た
青二才の営業日の表記が
火曜定休ではなくて
水曜~月曜日となっていることに
この感覚、面白いなぁ◎と思いながらも
なにか違和感を感じた◎
時間と言うのは
概ね、ルールと言うか基準が決まっている物なのに
人は自分の感覚の中にある軸を中心にアナログに
捉えるものでもあるんだな◎ってね◎
ルールに則らないと
こちら側からの一方的な解釈の違いで
いつか、大変なことになるかもしれない
ので、なんとかその感覚は
注意しながらじわじわ直していかなきゃな
と思ったのです◎
ただ、いつか
世間一般の時間軸中心に体がなった時には
今日感じているこの感覚というのは
無くなってしまっているのであろうと
僕の中で記憶を残すために今日書いているみたいなものです◎
最初は違和感を感じていたのに
慣れるとその感覚は知らない間に埋もれていってしまうから◎
いつか何かのヒントになるかもしれない◎
違和感の中に、いつも閃きがあったりするもんね◎
いつか他の人との言葉のやり取り上で
失敗する前に世間基準に戻さなきゃ
と思う半面で
僕の今日と言う一日には
『今日』も『明日』もが含まれていて
お得だなぁ
なんて悠長に捉えてしまっている僕も居ます◎
うーん、やっぱり
感覚について書くのは
難しいなぁ。。
今日の日記
意味わかんない人もたくさん居そう。。
ま、僕の備忘録っす◎
さて、これを書いているのは
7月2日午前8時40分◎
これから家に帰ります◎
そして、今日と言う明日に旅立つ睡眠をしてきます◎