僕らの生まれ育った岐阜県にはこんなに素敵な道があります◎
さくら道◎
こんな書き出しをしていますが忘れてました◎
小さな頃国語の教科書で出てきたのは覚えていたものの
ふと、あることでこれが気になり
うろ覚えの状態でgoogle先生に
『桜 日本海 太平洋』
とキーワードを入れたらすぐに出てきました◎
佐藤良二さんは岐阜県郡上郡白鳥町在住、
名古屋から金沢までを走る旧国鉄バス名金線の車掌をしていました。
佐藤さんは移植された荘川桜がみごとによみがえったことに感動し、
自分が走るこの道を太平洋と日本海を結ぶ「さくら道」にしようと決意され、
バスの走る沿線の停留所に桜の苗木を植えはじめました。
桜の苗木はすべて自分の蓄えからまかない、
少ない休暇をつかいもくもくと桜の苗を植えつづけました。
2000本あまりの桜を植えたころでしょうか、佐藤さんは、
病魔に侵され志なかばで、この世をさられました。
現在では残念ながら佐藤さんの植えられた桜がどれなのか定かでありません。
しかし、荘川町と白川村を結ぶ国道156号線沿いには桜が植樹され、
佐藤さんの夢見たさくら道にちなんで桜街道と名づけられ毎年きれいな花をさかせています。
そうそう、満を持してもう一度言うけど
さくら道ね◎
花って言うのは
いつの時代も、きっと人の心を動かし
穏やかにし、和らげてくれるものだったのでしょう◎
佐藤さんには、当然会ったこともないですが
小さな頃読んだこの、ノンフィクションの物語は
小さな僕なりに、行動を起こした佐藤さんにとても尊敬の念や
桜の花というチョイスにとても共感を得たのを覚えています◎
先日
青二才の大常連である梅さんが連れて来てくださった人と
素敵なお話をさせていただきました◎
さくら道を思い出させてくれたのも
そのお話からだったのですが
昨年の震災で被災された地域はホントに多くありますが
その中でも、福島県の広野町と言う町
一時は原発から近いということもあり立ち入り禁止区域指定を受け
町民の方は外に退避されたのですが、
震災から一年が経ち、立ち入り禁止区域の制限も外れ
津波で壊れた建物などの復興は徐々に進みつつあり
役場も今年の4月に戻ったものの
やはりなかなか元の町民の方は
その場所に帰るかどうかを迷っているそうなのです
そういう場所なので圧倒的に
以前よりも寂しくなってしまった町
その場所に帰れ!と絶対的に強制はできない町
それでも、帰ってきてくれた人に
少しでも明るくなって欲しい
と花を植えている人が居る◎
と◎
実際、まだまだ、建物や交通機関が完全復旧しておらず
物質的な被災の爪痕が残っている場所は多くあるでしょう
なのに悠長に花なの!?
そんなことを思われる方もいるでしょう
でも
物質的な被災と同じぐらいに
精神的な被災と言うのもきっと存在するのです
広野町以外にも、おらが街に戻りたいけれど
なかなか戻る決意が出来ない、それ以前にまだ立ち入り禁止区域で
戻れない人も多くいるでしょう
なんで広野町なの??
そんなことを言っていたら何も始められません
僕は今回この話を聞いた時に
イイ話だなぁ
と単純にホントに単純に思ったのです◎
町に戻ってきてくれた人に明るい気持ちになってもらいたくて◎
それだけです◎
僕の実家のある恵那市では気仙沼の人達のために町でイベントをしてました◎
杉並区は南相馬市の協定都市だそうです◎
震災直後はたくさんの募金箱が設置されてましたね◎
そのお酒を飲むとどこかの地元にお金が入るって言うお酒もあります◎
復興支援の入り口はそこらじゅうに転がっています◎
みんなで支援しよう!なんて強制はできません◎
でも、するする!と言っていて入口を選びもせず
何もしないのは、なんだかなぁ◎
と◎
今回、そういった人と知り合うことが出来て
その行動に尊敬と共感を得たので店内に募金箱を設置させて頂きました◎
青二才として変に肩入れするものでもなく
無理強いするものでもないです◎
被災地の心を少しでも和らげようと
花を植えている人が居る
そんな人が花の種を買う援助になれば、
と思っていただける方の
援助の入り口としての募金箱です◎
僕も少ないですが募金させて頂きました◎
僕らの募金で花が咲き
それを見て、帰ってきた人が
少しでも穏やかな気持ちになれたらいいな
なんて思いました◎
きっと岐阜の佐藤さんも
そんな心で始めたんでしょうね◎
いまだに尊敬と共感でいっぱいです◎