ハレタ
思い返すと、今までで記憶に残っている晴天が二回ほどある◎
一度目は1995年の春、高校入学前の父親の葬式の日
「僕はこんなに辛いのに、なんでこんなに晴れてるんだろう」と思ったのを覚えている
二度目は2005年の秋、青二才の前身「三鷹青二才」を始める日、
神谷の運転する車に乗りながら「めちゃくちゃ晴れてんな!」と
これから始まる何かをよりドキドキさせてくれた晴れ◎
40年も生きてきて、晴れた日も数えきれないほどたくさんあったと思うのに
とにかく記憶に残っているのはこの2回だけ◎
2020年7月23日朝から外は土砂降りの中、晴太誕生◎この晴れの日は一生忘れない
雨でも雪でも嵐でもこれからは、もう毎日が晴れた日に◎君の晴れた心は、
いつか必ずそばにいる誰かを元気づけるでしょう◎
どうか晴れの連鎖が起こりますように◎
改めて小椋晴太(ハレタ)よろしくお願いします!
今、このとてもとても貴重な時期を出来るだけ多く家族で居られるようにと
青二才スタッフが僕にお休みを作ってくれています
毎日一緒に居られる環境がどれだけ幸せなことか。
元来、幸せの独り占めが出来ない性分なので、覚悟しといてくださいみんな◎
また、今回一番大きな気づきだったのは40年も生きてきて、
自分でも知らなかった感情があるということ知らない土地に行って感じるような物や、
初めて食べる料理から受けるものなどとは違い嬉しい気持ちと感謝と、感激と、
なんだろうそういうのが一つになった混沌のようでありながらただただ純粋な感情
街行く多くの人がそれをすでに持ち合わせていながらちゃんと普通に
何食わぬ顔して生活していて分かんなかったよ世の中のお父さんお母さん、すごすぎ◎
自分の感じたその感情は生まれて半月の今も日に日にまだ増えるけど、
まだたったの半月うちの親も40年前からずっとこんな気持ちを持ち続けて育てて、
見送ってくれていたのかと◎
親は偉大だ◎
帰れるようになったらすぐに岐阜に連れて帰るので抱いてやってね◎
そして、出産直前まで家事もしてくれて今もなかなか眠れない日々が続くのに
毎日笑っていてくれるフミさん、ありがとう◎
もっと幸せにしますね◎
たくさんのお祝いの言葉、品々、本当にありがとうございます◎
自分の誕生日をお祝いされるのは、もう恥ずかしくてやめて欲しいと
思うぐらいだったんですが晴太の誕生を祝ってくださるのは、嬉しくて嬉しくて感謝しかないです◎
さて、コロナの時期「おやじと、その愉快な仲間たちは頑張ってたぜ!」と
いつか堂々と言えるように今日も頑張ります◎
さて来月は青二才13周年です◎今年は違った形での開催になるかと思いますが
色々と考えてますのでまた報告します◎