うちはうち、よそはよそ

小さなころ「どうしてうちはみんなの家みたいにファミコン買ってくれないの!?」と親を責めたことがある。周りの友達の中ではもうファミコンありきの会話がされていて友達との距離を感じてしまったがために発された言葉だったと思う

それに対し、たいていはいつも親は

「うちはうち、よそはよそ」

と言っていた。子供のころにはその言葉が(親の都合で子供を丸め込むような、いいようにさせるための言葉)
だと思っていたのだけど大人になって分かったことがある

”よそ”が良く見えている時、自分にとって劣等感みたいなものがある時は
”よそ”のように成れない自分や自分たちを責める言葉になるけれど

いま、この大都会東京でもう14年頑張ってきて、コロナ禍の波も今のところ乗り越えていて
新しいことを始めようとしている

そんな時に「うちはうち」だからという言葉が今の自分の心を後押ししてくれるのを感じている。
自分らしく生きること、青二才らしく展開することを肯定してもらっているかのように感じる。

同調が大好きなこの日本において今後これまでのままじゃいけないのは明白で
でもまだ誰も何が正解か分からない。

要請なんて全部無視してアルコールも出して営業を続ければよかったかもしれない
他の芝が青く見えるのはいつまで経っても変わらないかもしれない

そんなのは分かっている、だからこそ
「うちはうち、よそはよそ」なのだ

周りに流されることなく、でも周りと楽しみながら成長し青二才は青二才の選択をして強く、
これからも歩んでいきます

また、賛否両論出るようなお店を作ろうとしています

新しいことにチャレンジしようとしている今、やっぱり緊張しています

「うちはうち、よそはよそ、そしてやっぱり青二才は青二才」だと思ってもらえるような
色んな人にとって唯一のお店であれるよう、今日からまた頑張ります◎

たくさんのお祝いもありがとうございます!!

本日17時、中野北口に「角打ち割烹三才」開店です◎

164-0001
東京都中野区中野5-60-2 ライオンズプラザ中野1階

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