- 2012年10月28日
- BY 道太
発言責任
後輩Nがfacebookを使って
ちょっとした実験を行った話◎
facebookには『イイね!』ボタンと言うものがある◎
誰かのコメントを読んで、それに賛同したり
『分かるわーそれ!』と
アメトークの〇〇あるある
のように同感したりした時に
『イイね!』ボタンをクリックし、その発言者に対して
読者からの意思を伝える機能
『イイね!』が
多く付くと、そのコメントに対しみんなが同調してくれたような気になり
しかも、それが小学校時代の幼なじみだったりすると
しばらく会ったりしていなくても
なんだか、会話をしているような気分に陥る◎
ま、それが良い所でもあり、怖い所でもあるとは思うのだけど◎
が、逆に
せっかく何かを発言したのに
誰も『イイね!』してくれない時
それは、その発言については誰もが
見ても見なかったふりをする
と言うことが明らかになってしまうということだ◎
だが、何について
人は『イイね!』を押し
何については
何も行動しない(=『イイね!』を押さない)のか
後輩Nはそこが気になったんだろう◎
そこでNは
二枚の写真によって実験した◎
一枚目は
同僚と食べた、ただのご飯の写真
二枚目は
ただのご飯の写真に、同僚の姿も入れた写真
結果
圧倒的に、ご飯だけの写真の方に
『イイね!』ボタンが多く押されたそう◎
この二枚の写真の差は
人が写っているか、写っていないかと言うことだけ◎
後輩Nの推測によると
きっと、人が写りこむことで
読者はその人の査定もするような立場に立たねばならない
と言う、静かなプレッシャーのようなものなのじゃないか
と言うこと◎
確かにそうね◎
僕も以前、我が家のマンションからの朝日の写真だけを乗っけた時に
ビックリするぐらいの『イイね!』が押された◎
ま、誰が見てもイイって思っちゃうほどの朝日だったし
『イイね!』ボタンを押したところで、なんら責任発生しないしね◎
逆に、政治的な発言や
本の批評などだと、きっと『イイね!』とか同調するようなこと思ってても
『イイね!』と押してしまった自分を人から見られた時のことを想定して
危ない、
いや、危なそうな、
いや、それどころか危ないかもしれない
橋は渡らない
的な態度を取るのがこのネット上では通例なのだろう◎
誰が見るかもわからないこの画面上の世界では
自分の発言に対し、表情が見えない分
過度の発言責任が生じるのだろうきっと◎
でも、本来は仮想上であるはずの画面上の世界
そんな世界のルールが
現実世界にも逆輸入されて来たら
現実世界はもっともっと
面白くなくなっちゃうんじゃないか
と危惧するのです◎
現実世界で
実際に人と会って話をしているのにも拘らず
くだらない事や、どうしようもない事
取りとめのない事、オチの無い話
そんなものを会話から避けたら
世界はつまらなくなるに決まってる◎
ま、そりゃ
発言責任は誰にだってあるでしょうが
意味のない話、偏ったものの見方
つまらない話、誰も聞きたくないような話
聞いたところで別に何も変わらない話
たまに、すごく尖った話
そんなものをこれからも僕の場合はここで
発言していくことが必要なんだろうな
なんて思ってます◎
が
そんな僕の事よりも
世の中に絶対必要な
意味のない話をする時間
に最適なのはきっと
飲む時間だと思うのです◎
飲んだ時の意味のない話があるからこそ
意味のある話がコントラストがはっきりとするだろうし◎
何が言いたいのか分からなくなってきたけれど
お酒飲んでる時の会話の時間って
大事だよね◎
ってこと◎
んで、やっぱり
お酒さんってすごいよね!
ってこと◎
きっと◎
さぁ、今日は『イイね!』ボタンを押しづらい
まとまりのない日記を書いてみました◎