- 2013年3月26日
- BY 道太
なぜ青二才なのか【3】
当日
一升瓶を2本ぐらいカバンに入れて
近くのコンビニで小さなブルーシートとプラコップを買って
晴れた日曜日にシートの上に持ち寄った4本ぐらいを並べて
道行く人に『一緒に飲もうよ!』と声をかけ
花は咲いてないけど花見のようなそのブルーシートは
まぁ、会費として一杯300円もらってました◎
全く知らない人と、気がつけば同じシートで呑んでいる
そんなのが楽しくて、その日はあっという間に終わってしまったのですが
それ以上に、今まで得たことの無い充足感が僕を満たしてくれていました◎
僕には、夢を実現するための
経験も無い
お金も無い
人脈も無い
でも、昔からお金は無くても遊べていたように
どんな無いと言う状況でも、創造的に遊べる◎
完全にお店ごっこでしかないそのブルーシートだったのですが
それでも楽しくて楽しくて◎
お酒も残ったし、残った分でまた翌週やろう、と◎
そして次の日曜日
再び同じ場所で同じシートを広げていたら
『お!今週もやってんの!!?ならちょっと寄っていこうかな◎』
と先週来てくれたおじさんが、また来てくれたのです◎
その瞬間に、涙出ました◎
今まで色んなお店で働いてきたけど
人がまた来てくれるって、こんなに嬉しいんだ◎
って◎
自分でやるって、やっぱりこんなに感動することなんだ◎
って◎
その瞬間に一段階、決心レベルが上がりました◎
それからと言うもの
毎週毎週晴れた日曜日は
井の頭公園に一人で一升瓶を20本ぐらい
背中のリュック
お腹のクーラーボックス、
両手にP箱(お酒の流通箱)抱えて運び
昼過ぎには巨大なブルーシート広げて
『一緒に飲もうよ!』
と始めたのです◎
井の頭公園に酔っ払いの村を作ろう
と言うことで
井の村
と呼んでました◎
当時の井の頭公園は、今ほどの規制が無くかなり自由で
そこらじゅうで楽器を弾いたり、絵を描いたり、パフォーマンスしたりしてました◎
僕はするすると、そういう人たちのところへ行き
『お酒あげるから、一緒にやろうよ』と◎
すると、いつしかそのブルーシートの上では
演奏会が始まり、プロも酔っ払いも踊りだし、
何かできる人は、その何かをそこに居るみんなに提供して
とにかく毎週毎週、刺激的で非日常な空間が生まれ
気がつけば『お酒運ぶの手伝うよ』
『ブルーシート広げる場所、先に確保しといたから!』
『今日は沖縄の楽器持ってきたぜ!』などなど
そして基本的には、知らない人たちに
『一緒に飲もうぜ!』的な集まりであるゆえに
さらに人が増え
どんどん人数が膨れ上がり
毎週公園に姿を現すたびに100人規模の知らない人ばっかりで呑んでました◎
一度そういった空間になると
お酒がきっかけで人は乾杯し繋がるのか
楽しい空間、そこにお酒があるからもっと楽しいのか
その順番が分からなくなるけれど、とにかく
人とお酒と人が純粋に繋がっているのを見て自分のこの先にやっていきたい事も少し見えたのです◎
日曜開催の井の村をやること3年
頂いた連絡先は数百件、そこに
『今日、やるよー!』
と言うと、『待ってたぜ!』と人は来てくれるようになりました◎
でも、毎週毎週楽しくやっていても
どうしても、次のステージへの欲求が抑えられなくなりました◎
僕には
自分のお店を持つと言う夢がある◎
なら、次へ進まなきゃ◎
そこで閃いたのが
以下のことです◎
たまたま、昔からの知り合いの方が三鷹で独立されて
たまたま、日曜日が定休日だと聞く
これは!と思い
『日曜日分の家賃をお支払いするので、定休日のその日だけ
お店貸してもらえないですか!!?』
と相談したところ
快く了承していただき
三鷹のそのお店で毎週日曜日に、お店を開くことが出来るようになったのです◎
ずっと、一緒にやろうぜ!
と言ってきた神谷と二人で互いの休みの日曜日
そのお店のものを勝手に売るわけにはいかないので
また毎週、お酒を運び、食材を運び、仕込みをして
お店のようなものを始ることになったのです◎
その時期、互いにそのお店のようなものの名前を考えては
メールし合う、ということになっていました◎
すごく呑んだ日の翌日
朝、携帯を見てみると神谷から
『おぉ!それ超いいじゃん!俺らっぽい!』
とメールが来てました◎
何のことだろうと思いながら
自分の送信済みメールを見てみたら
タイトルも何も無しで
『青二才』とだけ送っていました◎
酔った僕がなぜ、青二才と閃いたのかは
もはや永遠に蘇ることの無い記憶の引き出しの中ですが
素面の僕も、いいじゃん、と思ったのです◎
つづく