家族と言える全スタッフへ その参
最近秋田へ行ってきました。
社長のドウタと日本酒の研修という理由で蔵元見学へ。
という理由で、というか、ホントに研修です。
ドウタが日記を書くとどうもオモシロ珍道中みたく
ただ遊びに行ったようになってしまいますが
ちゃんと勉強してきました。
しこたま飲んだ秋田から帰り
またいつもの営業に出ると現実に引き戻されます。
けどやはり店でお客さんの笑顔や
驚きの顔を見ると
やっぱり俺にはしっくりきます。
驚くと言えば
青二才ではお客さんから頼まれたサプライズのバースデーを
毎日のようにやっています。
今日もそうでした
やり方は人それぞれで
とっても計画立てられたものや
たまたま誕生日と知って急遽考えられるサプライズをしたりと
色んなパターンがあるのですが
この6年間でいったい何百回のバースデーを祝ったことでしょう。
ただ何度繰り返しても同じ繰り返しではなく
毎回違う反応に立ち会えるのです。
もう18年前、
中学を卒業し地元から通学に1時間かかる高校へ入学しました。
ま、距離にしたらそれほどでもないけど
田舎だけに
最寄り駅まで自転車で20分、
電車、というかディーゼルカーで30分
そこから徒歩で20分。
けっこうな道のりでした。
地元では進学校だったその高校で
今の相方のドウタと出会うわけですが
1年生のころは存在は知ってるけどそれほど仲良くもなく
どちらかと言うと
“合わない”存在だったのかもしれません。
初めてのテストで数学18点という
今まで取った事のない点数で
そこそこの勉強嫌いのまま2年に進学。
クラスも替わって
新しい友達が出来た中にドウタが居ました。
その頃のドウタは学年の、いや、学校の中でも
けっこう変わった生徒で
頭に20本くらいカラフルなヘアピンを付けて
登校してきたり
私服はテロテロの真っ青のサテン生地のシャツを着てるような
想像を超えるお洒落さんで
毎度そのフォルムには衝撃を受けていたのを覚えています。
この頃から
“自分は自分”を地でいっていた人間でした。
俺はといえば
小学校から続けていたスピードスケートも
その高校に入ると
スケート部は無く
仕方ないので陸上部に所属しながら
冬だけ試合に出る、というスタイルで
何とか続けているという感じでした。
それでもインターハイも国体にも出場するくらいの成績ではあり
とっても中途半端な文武両道だったなぁ
3年になり
大学受験が控えてるという理由をつけて
部活を辞め
今までしてこなかった高校生の放課後ライフを
浅はかに満喫するのです。
三年も終わりに近づき
田舎では本格的に冬も牙をむき始める
11月、
部活も辞めたことで
今まではあった
毎年の自分の記録に対しての目標も無く、
受験にはまだリアリティをいまいち感じられない時期で
自分はどうせ実家の家業を継ぐんだ、という
漠然としたゴールを持ってる安心感にひたり
今日どうしてもやりたい事があるわけでもなく
毎日が淡々と過ぎていくのを
ボーっと俯瞰しているような日々を送っていた。
まだ高校生のクセに。
めんどくさかったなぁ、毎日。
今思えば
将来やることが決められているということを
敷かれたレールに乗っけられてると勘違いして
感傷に浸ってる自分が心地よかったのかもしれない。
そんなある日の昼休み、
毎日仲の良い友達と昼に母さんの作ってくれた弁当を食べてたんだけど
弁当箱を開けると
一通の手紙が入っていた。
『お誕生日おめでとう
何もないけどこれで好きなものでも買ってください』
その下にはシワになった千円札が3枚入っていた。
朝出掛けるときには俺の誕生日のことなんか何も言ってなかったのに。
なんでか
泣けて泣けてしょうがなかった。
まわりには弁当箱開けて泣いてる気持ち悪い奴だったかもしれないけど、
涙があふれてしょうがなかった。
それから
やっと俺の将来への受験勉強が始まった。
なにが言いたいかといえば
たいした事でもないが、
ほんとに
たいしたことでなくても
人の心を動かし
原動力となることもある、ということだ。
この店で
誰かのバースデーを祝ってその人が喜んでくれたりするのを見ると
高校の時のこの弁当のことを思い出す。
まわりには小さな事でも
その人の心を動かすことは
沢山あるんだと思う。
そんなタイミングにほぼ毎日立ち会えるこの仕事に
導いてくれたドウタと出会った
俺の高校時代は
もっと一杯思い出はあるけど
こんな感じでした。
こんな日記でいいのかな?と書いてて思うけど
次は田舎から東京に出る時の話から。
そっか、そろそろウチのスタッフ、
TWOの誕生日だな。