- 2013年6月22日
- BY 道太
人並み
中野のお店が出来てから
毎日、朝が来るまで店舗に居る生活が始まり
いや、阿佐ヶ谷時代からもそうではあったんだけど
阿佐ヶ谷はね、自転車で帰ったりできるのよ家まで◎
でも、中野はちょっとそれだと遠いし、飲んだりした後に乗る自転車が怖いから
予防の意味合いでも自転車に乗るのを避けていて、電車通勤にしているんです◎
ま、そんな安全そうな電車もたまに牙をむいて
知らず知らずのうちに遠い地まで連れて行かれるんだけど。。
武蔵境より先は自分の意思を持って行った事など
人生においてほんの数回だけのはず◎
まぁ、何が言いたいかって
気が付けば
例えばちゃんと夜のうちに帰り、寝て、朝日とともに起きるような
人並みの生活からどんどん離れていっている気がしたのです◎
こういった
時間の人並みだけでなく、
人並みの趣味、人並みのお金、人並みの食事
人並みは数を挙げればキリが無いですが
あ、これは決して弱音とか、愚痴とかではなく
冷静に見て、そうだなぁ、と◎
この職業を選んだ以上
避けては通れない道で
僕自身はそれに納得した上で、今、こうやっているわけです
が
経営者として
スタッフや
夫として
梨枝様などには
人並みの生活を与えてあげたい
などとも思うジレンマです◎
人とは違う人生を送るんだ!
と
いう思いがほとんどを占拠している僕の脳の中で
特に思春期
人並み感という物は僕にとって
侮蔑の対象であり
かっこ悪いものでした◎
なので今、人並み感というものに対し
頭の中の与党と野党が
『そろそろ人並み感の素晴らしさを認めろ!』
と
『いや、人並みで何が面白い!!?』
とぶつかっています◎
まぁ、僕個人としては
人並み感というものをゴールに設定する事はないので
結果は同じなんですが
先にも書いたとおり
自分と関わる自分の周りの人に関しては
人並み感を与えたいと思う
と言う、脳内野党側の意見を
最近になって与党側が認めた形です◎
ずっとずっと、人並みの生活をしてこなかった僕の母親
子供を育て上げるまでは、と
寝る時間が無いぐらいに働き
娯楽や趣味、物欲などを全て心の奥にしまいこみ
他の同年代の人が旅行に行こうとも
新しいバッグや季節の洋服を買っていても
話題のカフェにお茶をしにいっていても
全て、そんなものに見向きもせず
ただひたすら、子供と仕事に向き合っていた◎
母親が自分のための何かを買っているところを
一緒に暮らしている頃、見たことは無かった
寒くなれば毎年同じジャンパーを着だし
少しでも時間が出来ればお墓の掃除に行き
稼いだお金は子供のためにと貯め
気が付けば、人並みを一番謳歌できる年齢も
きっと、あっという間に過ぎ
還暦を越え
今だ◎
そんな母親は、今パソコンを始め、フェイスブックもしている◎
僕に人の大切さを教えてくれたのは母だ◎
人と人とのつながりの大切さも教えてくれた◎
母のフェイスブックの友達には
自分の友達のほかに
僕の友達、妹の友達、その友達の友達
と、もうどこがどういうつながりだっけかと言うような状態に
なっている◎
きっとこんなにも、子供の友達や、その友達と繋がっている母親世代の人は
そうそう居ない、そう、人並みではないのだ◎
そんなのを見て、イイなぁと思う◎
人並みではないのだけど
先日、サッカーのコンフェデ杯を朝から見た母が
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
悔しさが 伝わる
サッカーのコンフェデレーションズカップ イタリア戦
はらはらしながら 見てしまいました。
本田選手への インタビューは
言葉が少なくても 悔しさが 伝わりました。
自分の立ち位置を しっかり持って 進んでいるからこその オーラ。
こんな 若者 が日本に居る 。
負けても 心に しんしんと 入ってくる姿でした。
立場は違うだろうけれど 前を見つめて努力している 若い人
身近な所でも きっと居る。
イタリア戦 素晴らしかったです。
ありがとう
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
サッカーを見て、感動している母を見て
母の言葉の内容よりも
あぁ、今はちゃんとテレビを見る時間を持てているんだなぁ
と
感動した僕が居る◎
母に比べたら僕にはまだ誰かを育て上げるだけの器量がない
何が人並みなのか分からないけれど
この母を見ていると、まだまだ人並みなんかを目指すにはやっぱり早そうだ◎
と思う◎
さて、今日ももうじき朝の6時だ◎
通勤の人と逆向きの電車に乗る生活は続く◎