• 2014年9月7日
  • BY 道太

報告

いつもいつも青二才を可愛がっていただき
誠にありがとうございます◎

この日記が更新される9月7日の午前0時は
無事に7周年のイベントを終え
今頃は二次会真っ最中の事でしょう◎

この7周年で重大発表をさせていただくと言って以来
多くの方に『なによなによ??』と聞かれてきたのですが

一切その件については黙秘を続けてまいりました◎

これが更新される頃には
青七祭で言葉にして伝えた後ですので
ここで改めて報告をさせて頂きます◎

そもそも話は遡り

2011年の3月11日

東北地方は言わずもがな
都内でもあの日は見たことないような大きな一日でした

当時住んでいた家では、テレビは倒れ割れ
食器棚の扉が開きありとあらゆる食器が床に落ちて割れ
これはただことじゃないと思い、ぐちゃぐちゃになった家を飛び出て
自転車を飛ばし、この阿佐ヶ谷青二才に来ました

我が家は本当に壊滅状態のような光景

自転車をこいでいる最中、すでに半世紀以上建っているこの建物が
もしかしたら倒壊しているんじゃないか、とさえ思いました

が、実際に来てみれば、お酒も食器もほとんど落ちることなく
いつもおいてある場所が少しずれたな、ぐらいのものでした

なんだ、この家なかなか丈夫じゃん

なんて思ったのを覚えています

が、その日以降よくよく見てみれば
カウンターの横に今まで無かった隙間ができていたり

入口の扉が閉まらなくなっていたり

二階の床も今まで以上に歪んでいる場所があったり

日々営業していく中でこの建物の悲鳴のようなものが聞こえてくるようになったのです

その後、今日までの数年の間、色々な修繕もしました

でも、修繕に来ていただいている業者さんが口を揃えて

もう、あと10年もすれば根本的な建て替えが必要ですね

と言われました

この10年というのは、この先何もない状況が続くことを前提としての10年という時間です

僕には大好きな父親がいました

本当に本当に大好きだったけど

ある日突然、交通事故で死んでしまいました

今は幸せに暮らしていますが

当時は、今まで普通にいた人が

いきなり居なくなる

居なくなった

この事実を受け止めきれるまでに

多くの時間がかかりました

それぐらい、自分一人では抱えきれないような出来事だったのです

僕の中では、大事にしている人、物が

いきなり無くなる

ということが何よりも辛いのです

というより僕はその経験から
辛いことを知っているのです

迷いました

本当に迷いました

もう、このお店は僕だけのものでもないし

皆の生活の一部にさえしてもらっている

何よりも家族のようなスタッフにとっては仕事場でもあるし

ずっと一人でその悩みや迷いを抱えてきました

がある日

僕には、とてもとても頼りになる右腕がいたことを思い出しました◎

神谷です

でも、このまま続けて行くわけにもいかないと思い

営業後、南阿佐ヶ谷のデニーズで

勇気を振り絞って

言ったのです

『阿佐ヶ谷の青二才を閉めようかと思う』

そこから二人で泣きました

僕が思っていたことを

神谷も分かってくれ

もしかしたら、僕よりも先に思っていたかもしれないけれど

デニーズで二人で沢山、このお店の今までの事を、思い出を
話すことが無くなるほど話しました

それでもいくら話しても話すことは無くならないし

どんどんどんどん湧いて出てくるのです

それぐらい
阿佐ヶ谷が開店してからこれまでの時間は濃いものでした

話せば話すほどに
僕らには今、とても大事な
何にも替えがたい人たちがいることに気が付きました

このお店を支えてくれているスタッフであり

このお店を本当に好きでいてくれるお客様たちです

この人たちとずっと一緒にいたいから

この人たちに僕みたいな辛い思いをしてほしくないから

神谷と話して決めました

いつか営業ができなくなる日までずるずる営業して

ある日突然来る、このお店との別れに

『来週友達と一緒に行こうと思っていたのに』

というのよりも

残された時間、最後まで元気な姿の青二才で居たいから

そしてその時間を、大事な大事な人たちと一緒に

濃く送っていきたいから

来年、2015年12月31日をもって
阿佐ヶ谷の青二才を閉店することを決めました

建物は無くなっても
ここで繋がれた人とずっと一緒に生きたい

閉店と同時に
僕らには大きな目標が出来たのです

また必ず
この阿佐ヶ谷で青二才を始めたい、と◎

この青二才

売り上げが落ちているからとかではないし

なんなら、その話が合った以降で

去年の年末おおがかりな内装工事もしました

それは最後まで輝き続けたいと思ったからです

閉店することを決めてから

この建物の傷の一つ一つや

閉まりにくい扉

暑いキッチン

雨が降れば床から湧いてくる水

今までは悩みだったのに
そんな場所でさえも可愛く思えてきてしまいました

終わりを決めてから
僕たちはもっともっとこのお店を好きになったのです

そんな中

とある方からこんなお話をいただきました

『神保町の新しくできるビルに出店しませんか』

まったく知らないし興味もない土地での出店

その話を聞いていて

ま、僕らはやらないよきっと

なんて思っていたのですが

神谷と話している中で

阿佐ヶ谷にもう一度青二才を作る

そのためにやってみるのはいいんじゃないか

スタッフに今月、話しました

この建物での営業は来年の年末まで、だと

そして

僕らは、阿佐ヶ谷にもう一度青二才を作りたい

田舎に住んでいるスタッフのご両親も
知らない場所でやっているよりも
あのビルに出店しているお店なんだと知ってもらえるし

だから

来年の春に神保町に出店する話を受けて

来年の年末にはこちらを閉めて

その先に阿佐ヶ谷に青二才を作ろう、と

僕らは、みんなと一緒に前に進んで行こう

と◎

今日、7周年で発表させていただいたことは

2015年12月31日で阿佐ヶ谷青二才をいったん閉店します

2015年5月に神保町で3店舗目を出店させていただきます

そして必ず、再びこの町で、この大好きな街、阿佐ヶ谷で青二才を始めさせて頂きます

僕だって
この可愛くてしょうがない建物との別れは辛いですが

残された時間を、大好きな人たちと意味のある時間
意識のある時間にしたくて決断、発表させていただきました

これからも、末永く
僕を、神谷を、慎矢を、マー君を、睦を、トゥーを、ヤスを、良太を、ロミを、ミナミを、チブを

そして青二才を、よろしくお願い申し上げます◎

楽しい未来しかないと信じて、全力で走っている大人でありたいと思います◎

小椋道太

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