人の前で話をするという事

10日

昼過ぎ、僕は新宿に居た◎

 

三鷹で青二才をやっていた頃知り合った方から連絡があり

もう20年も毎月やっているクリエイティブな異業種交流会のような場で

僕がゲストパネラーとして話を聞かせてほしい

 

との

たいそうな事だった◎

 

これはせっかくの事だから

何か事前に準備をして

どんな質問が来ても対応できるようにしておこう◎

 

 

などと思ったものの

 

日々の営業の忙しさにかまけて

 

結局ほとんど何も持たず

唯一、以前東大で講義させてもらった時の

パワポデータが入っている神谷のPCだけ持参した◎

https://aonisai.jp/2633/

 

 

 

新宿のとあるミーティングルームのような場所に

僕よりも一回り二回り上ぐらいの方々が集まり

会が始まった◎

 

 

皆さんの自己紹介が終わり

 

僕の事を紹介して頂き

いざ、スピーチタイムに◎

 

どんな順番で何を話そうかなー

 

などとぼんやりと考えていたものの

結局やっぱり今まで生きて来てその都度何を考えて

今日現在までやってきたのか、しか

僕には手持ちの武器が無い◎

 

などと思い

 

ホワイトボードにペンで

 

1980年1月17日

 

とだけ書いた◎

 

 

僕が産まれた日だ◎

 

 

久しぶりに自分の人生について

振り返ってみた◎

 

大きく話すでもなく

誇張するでもなく

その都度その都度

 

自分の人生でのターニングポイントで

小椋少年が何を考えていたのか

 

どう考えたから

 

その直後の展開がどうなったのか

 

振り返った◎

 

 

 

若いころはやはり父の死

 

その後は母の言葉、母としての彼女の姿勢

 

そして東京でもがいていたグレーの時代

 

その先に出来た仲間と

 

パートナーとしての神谷の存在

 

まぁ、平坦ではないけれど

そのたびに色々な方に救われてきたのだと

改めて実感した◎

 

大変だけどとても恵まれた人生◎

 

あっという間に時間が過ぎゆき

1時間10分ぐらい話していた◎

 

東大の時の自己紹介より10分長い◎

 

ここ半年で10分ぐらいのネタが出来たんだと感じた◎

 

午後の眠い時間

誰も寝ることなく

こんな若造の言葉に耳を傾けていただき

その後の質疑応答でも

 

色々と熱い言葉、質問をしていただき

ちゃんと聞き入れてくださったことに感謝したのを覚えている◎

 

恵まれた人生を生かさせてもらっていると感じた僕は

 

今日からまた一つ一つの営業を大事に楽しもう

 

と感じ、昨日の営業に立ったのです◎

 

井の頭公園でやっていた頃

 

「あー今日はどんな人に出会えるんだろう!?!?」

 

と無性にワクワクしていた

あの気分◎

 

10年経っても変わってないんだなと◎

 

↑
PAGE TOP