• 2016年1月21日
  • BY 道太

旅行か、旅か

「どうせなら、もう一回旅に出よう」

もう2年半も前、デニーズで阿佐ヶ谷青二才を閉店しようと

神谷に意思を伝えた日

その後二人して泣きながら、

あんなこともあったよな

こんな辛いこともあったよな

お客さんに本当に救われているよな

などと、いろいろな思い出を二人して朝まで飲みながら語っていた◎

建物の老朽化を、当時はまだ誰もリアルの世界に置いていない状態で

気づくとか気付かないじゃなく、本当に感覚で感じ

閉店の決意を持たせられた阿佐ヶ谷店

その場所との別れは、なんせ思い入れの強すぎる場所ゆえに

神谷に伝えた意思でさえも、その日そんなに自然に出た涙でさえも

現実的かといえば、そうじゃなかった◎

それでも、口にしてしまった現実は辛いものでしかなかったため

自然とバランスをとる様に、きっと僕の脳が何か楽しいことを探し始めた◎

「そうだな、阿佐ヶ谷の店を閉めることができたらもう一度、旅に出よう俺ら」

阿佐ヶ谷店を作る前、お店を作るためのお金とは

別に確保してあったちょっとしたお金を握りしめ約一ヶ月の旅に出た◎

まともな布団で眠ることのできない貧乏旅だった◎

だが、今の自分たちの根底にはその時感じたことが脈々と流れている◎

まだ、中野店も出来たばかり

阿佐ヶ谷を閉めることも

神保町にお店ができるなんて思ってもみなかった頃

誰にも言わずにこっそりと

僕らは阿佐ヶ谷を閉めることと

旅に出ることを決意した◎

それから日が経ち

神保町店も様々な問題を越え無事に開店したその年

僕らの細やかながら大胆な決心は

近しい数人には伝えてあったが

誰にも言わずに

阿佐ヶ谷店は華々しく最後を飾った◎

しばらくは阿佐ヶ谷のお店を神谷と二人で片付ける日々が続いた

が、それもひと段落した◎

その場所に居てもそんなにやることなんてないのに

気がつけばいつも僕も神谷も静寂の阿佐ヶ谷店で自宅でもできるような作業をしていた◎

いつまで経っても、閉店した今でさえも

阿佐ヶ谷店が心から消えることが無かったのだ

別れを誰よりも認めたく無かったのかもしれない

「旅に出よう」と言ったことを忘れたわけではないし

スタッフにも「俺らはそうするよ」と伝えてはあったのだが

やはりなかなか、決心がつか無かったのだと思う

静かな店に居ると

得も言われぬ焦燥感に襲われる時がある

自分は認めたくないが

営業に出ずに静かな日々

最初の数日は非日常としていたが

脳は慣れる

非日常がどんどん同じ形のまま日常に近づいて来ているのがわかった

いよいよ出なければならないと思った

「明後日出よう」

ほぼ何も決まっていないが

ルートだけを決め、あとはその地でどうなるか、任せよう◎

ずっと前から決まっていたのに

突然決まったような旅が始まる◎

初日である20日、早朝に東京を出た僕らは北海道の地に立っていた◎

同じようなことをした9年前

LCCなんていうのもほとんど使え無かった時代

今回は成田から始まった

安い飛行機の発着場である第3ターミナルまでの

通路横に貼ってあったポスターの数々

その中で、ひとつ

「キミが今からするのは、

  旅行か、旅か」

普段ならそのポスターに目もくれ無かったかもしれない

「旅だよ」

口に出すことは無かったけれど

心の中でつぶやきながら気がつけば北海道だったというわけだ◎

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