阿佐ヶ谷の終わりに
人との出会いは不思議だ
でも、この青春の8年3ヶ月を経て
今強く思うのは
出会った人と繋がっている事の方が不思議だ◎
僕らの原点である阿佐ヶ谷の青二才が12月31日をもって閉店した◎
何が言いたいのか分からず、ずっと最初の一文が出なかった◎
感謝や、寂しさや、元気や、意地や
閉店という事に際し
色んなものがごっちゃ混ぜになって情報量が多すぎて
何から手を付けていいのか分からない心情だった◎
12月頭
他の青二才スタッフにワガママを通し
僕も神谷も阿佐ヶ谷の最後、働いていたい!と◎
ありがたい事に誰からも文句は出ず
「どうぞどうぞ、ぜひ!」と送り出してくれた◎
久しぶりの阿佐ヶ谷店
毎日働く場所ではなくなり、たまにこのお店に来るといつも思い出す
右も左も分からないような状況で始めたあの日
2007年9月10日
それよりも1日前
工事業者からギリギリで引き渡しがあった9月9日
からっぽだけど全てが新品のお店を見て
プレッシャーで潰されそうになった日◎
僕は青二才のポロシャツを着て
神谷はまだ色々と店内の作業をしていたので青いツナギを着ていた◎
「ほら、この写真は記念だから!」
と誰かに急かされながら撮った一枚◎
ぼやけてはいるが
今見れば、若さや、フレッシュさ、元気、などそんな言葉がよく出てくるような一枚だが
この時の気持ちと言えば、これから先の不安が心を埋め尽くしそうになっていた◎
神谷と肩を組みながら、必死で丈夫を装い、とにかく神谷にはばれないようにと表情を作った◎
互いにそうだったかもしれないが、とりあえず神谷サイドの話は今のところ僕には、ばれていない◎
今では懐メロになったケツメイシのトレインをかけながら
不安と緊張とドキドキとワクワクが混沌と入り乱れた心情で
シャッターを開けたのを覚えている◎
僕自身で言えば
この8年3ヶ月は常に迷いの中にいたのだと思う
虚勢を張って、さぁガンガン行こうぜ!
と結局はなるものの、いつもいつも不安と迷いが気持ちの中には居た◎
シャッターを開ける前、神谷と珍しく握手をした◎
これからオープンだな!っていよいよ前に進む覚悟を持った◎
青二才をやりながら、思い返せばいいことばかりではなかったし
むしろ、辛いことの印象は強烈に残っていたりするので
辛いことの方が多いんじゃないかと思えたりもする◎
でも、毎回辛いこと、大変な事を乗り越える事が出来るだけの
何かのかけらをいつも周りにいる誰かが与えてくれた◎
神谷との握手もきっとその一つ◎
とてつもなく暇で、今日はいよいよ誰も来ないんじゃないかなどという日
こんな日が続けば、お店を続けて行くことなんてできない、どうしよう
「いや、暇そうだからさ」
と寄ってくれる人がいた◎
スタッフがいっぺんに辞めて、僕も神谷も気持ちが滅入った日
「それでも僕は来続けるよ」
とカウンターで飲む人がいた◎
近隣の人から疎まれ、何とかしなきゃとの思いで始めたアソビ計画、僕も中野店に行ったりで参加できない事も続いた
「毎回来ますよ、だって好きだから」
と面倒くさいゴミ拾いを毎月守ってくれる人がいた◎
大したお金も払えていないのに、
「今日は俺に奢らせてください、だって誕生日ですから」
とご馳走してくれるスタッフがいた◎
人不足で休みをなかなかあげられない日が続いた時
「道太さん神谷さんの下だから、死ぬ気でやってられるんすよ、まだいけます」
と自ら休みをさらに削ってくれと言って来てくれるスタッフがいた◎
時間もお金もそんなにあげる事なんてできない、それでも
「青二才の事が、青二才をしている二人が好きだから」
と支えてくれた家族がいた◎
気が付けば
お客さん同士で恋人になり
結婚したり
スタッフも含めて新しい命が生まれたり
大変な事、辛いことを乗り切るだけには勿体ないぐらいの
幸せなかけらを、いつも
そばにいる誰かが与えてくれている事に気が付かされる◎
そして、またやっぱり
前に進む覚悟というか
進め進め
と自分で促される◎
8年前、シャッターを開けるあの瞬間の不安は、もう無いのかもしれない◎
出会いに感謝ではなく
8年間の間、どこかのタイミングから今日、そしてこの先も
この縁が続いていくことができる事への感謝
この建物での思い出は抱えきれないほどある◎
もう、ここで新しい思い出は出来ないかもしれないけれど
ここで出会ったからこそ、続いていきまた新しい何かが始まる◎
不思議と怖くないんだよね◎
これから起こるであろう困難が楽しみでもあるぐらい◎
今日まで支えてくれた、全ての青二才にとにかくありがとう◎
さぁ、何をしようかなー!!!!