いい年こいて初の一人海外(最後)

ヤンゴンの南側、ヤンゴン川には対岸に渡る手段でフェリーが就航している◎
このフェリー、なんと日本人は無料だと◎
日本のODAで贈られた船だから
日本人は無料です!と◎
ここへきて日本人であることの恩恵を受けることになるとは思わなかった◎
とても綺麗とはいいがたいフェリーだったけれど、向かいにあるダラの街の人にとっては
生活するのに必要不可欠なインフラだと◎
ダラの街には10分ほどで着いた◎
といっても何かがあるわけではなかった◎
ゾウさんが、その辺のサイカーの青年に声をかけ
何かを交渉し、僕らはその一台のサイカーに二人で乗った◎
サイカーの青年(名前失念、新潟の蔵元アベちゃんに似ているので以下アベちゃん)は
少しだけ英語を話すことができた◎
僕とアベちゃんは英語
アベちゃんとゾウさんはミャンマー語で
お互いに何かを話していた◎
ミャンマー一の大都会、ヤンゴンから
川を挟んでほんの数分来たこの町は最貧困層が住む町でもあった
アベちゃんが言うには
この町で仕事と言ったら
漁に出るか、農業しかない、と
でも漁に出るには船がいる、船を持っている人じゃないと漁に出れない
農業するにも畑や種がいる、それらを持っている人じゃないとできない、と
なにも仕事がない人がたくさんいる、のだと
たしかに、町の中はさっきまでいたヤンゴンとは全く違い
ボロボロの木でできた家が多かった
アベちゃんは、サイカーを漕ぎながら話をつづけた
「でも、まだこの辺は良い方、これから行くバンブービレッジと言う町は
数年前のタイフーンで町が崩壊し、家も、畑も、何もかもが無くなった人たちが
今も住んでいるエリアです」と
ただでさえ仕事がなく、貧しい人たちに
さらに自然の災難が降ってきたのだ
どんな絶望を味わったんだろう
どんな辛いことにあっているんだろう
天気が良いと言うこと以外は
何もないんじゃないか、と想像しながら
サイカーの上に座ってただイメージしていた
ガタガタの道を決して力持ちには見えないアベちゃんが
必死で漕ぐサイカーは、一つの小さな橋を渡った
「この先がバンブービレッジです」
明らかに貧しさが一気に加速していた
家とは言えないような、今にも倒れそうな建物の中に
人々は居た
アベちゃんは、また漕ぎながら
「日本や、オーストラリアや、ヨーロッパ他諸外国からの寄付で
町の中にトイレや、備蓄倉庫や、小屋ができました」と説明してくれた
新しいであろうその建物も、日本で言えば
プレハブのボロボロの物置のような物だったりしたのだけど
それでも現地の人々は、とても感謝していると
バンブービレッジの奥に着き
(もちろん観光資源なんて何もなく、さっきの倉庫とかぐらい)
遊んでいる子供たちがいた◎
子供は無条件に良い
自転車のチューブのようなもので
フラフープのようにして遊んでいるんだけど
本当にこの子たちが絶望を味わったことがあるのかどうか分からないぐらいに無邪気だ◎
三人同時にチューブフラフープを回し、一番うまくできた子が
「今の見てた!?うまかったでしょ!?」と言わんばかりに
笑顔を見せる◎
たまたま遊んでいるところに
サイカーに乗った外国人のおじさんが顔を出したぐらいで
何か、くれとか、お金をせびるとか、一切なかった
本当はもっと、村に着いたとたんに地元の子に囲まれ
花を買えとか、お金くれ
とかだと思っていたのに、この村の人は一切せず
ただにこやかに笑っていた◎
そして大人に会ったら会ったで
「日本人の寄付のおかげであのトイレが出来ました、ありがとう」
ただの旅行者なのに、ただただ感謝されてこの村が過ぎていった◎
カズヤよ、ここだな、このタイミングで日本のお菓子あげていたら
本当にヒーローになれたな、きっと最高の笑顔がもっと最高になってたかもな
あんなふうにタクシーのおっちゃんに微妙な感じであげるんじゃなかった・・・
いや、今度来るときは本当にたくさん持ってこよう、と思った◎
帰り道アベちゃんが「この先に、村役場がお米の備蓄倉庫になってるんですが
そこで寄付をしてくれると、米袋にメッセージが書けます」と言った◎
もはや、メッセージなんてどうでも良かったけれど
さっきの絶望を感じさせない人たちのために
何かできたらいいと思い、この日持っていた現金を全部この役場に置いてきた◎
実は
見ちゃってたんだ俺
ネットで
バンブービレッジではボッタクリが横行している、と
サイカーもヤンゴンに比べて高いし
米代だと言われ、35000チャットも請求された、とか
書いてあるの見ちゃってたのね、すでに
でもね、それでもいい、と思った◎
ゾウさんが話をつけてくれたアベちゃんのサイカーだって
お米代だって、きっとここで生きていくにはどうしても必要なものだもんね
ミャンマーの感覚で言えば高かったり
一円でも安く済ませたい、少しでも高いお金払いたくないと思う人は
そうやって思うかもしれないけれど
僕の数十円、数百円、数千円で何とかなる人がいて
その人が目の前にいて、その人たちから向けられる感謝の気持ちに応えるには
今はお金しかない、と思ったの、その時◎
納得したうえで払ったものは決してボッタクリではないし
出会ってしまった誰かのために、僕は、僕にできることがあれば何かしたいとも思った◎
たとえこれがボッタクリだという人がいても
僕はそうは思わない、ただ、それだけだった◎
ミャンマーに来て、一人の時間も多くて
色々考えたこともあったけれど
最後はとてもシンプルになった◎
きっと僕は
ただただ、出会い、身の回りにいて僕に笑顔を与えてくれる人のために頑張ろう、と思った◎
もっとみんなを幸せにしたい、と思った◎
中村一義の「永遠なるもの」という歌の一節で
全ての人が幸せに この幼稚な思いが永遠でありますように
と言う部分がある◎
全人類が幸せに、とまでいかないが
僕と出会い、関わってしまった全ての人の幸せを望むことならできるかも、と
そこはもっと貪欲にやっていこう、と思ったのよ◎
青二才のスタッフに会いたくなった、自然と最終日にそう思わせてくれたよ◎
ポケットにお金が無くなり
帰り、フェリーが無料で良かった◎
日本最高◎
その後、ゾウさん(社長)に最後のミャンマーの夜をごちそうになり
ゾウさん(部下)の超高速運転に乗り
あれだけ緊張したはずのヤンゴン空港で懐かしさを覚え
ミャンマーと言う国と、ゾウさんゾウさんに最大限の感謝をもって
スタッフの待つ日本に向けての飛行機に乗って、僕の初めての一人海外旅行は終わったのでした◎

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